東京に出てきて浅草に住み、神田で仕事をするうちに、緑色の壁の古い商店が、なんとなく好ましく、インターネットでそれとなく調べて、こういうのを看板建築とか、銅板建築とかいうのだということを知った。
この写真は、銅板ではないが会社からほど近くにある看板建築。看板建築の命名者である藤森照信氏の著作はもう書店にはなく、図書館に行って読んだ。顔を模したものには、たしかフェイスなんとかだったかという名前がついていて、マニアも多いとあった。
不動産屋の営業所のようだったが、2月に空き家になった。イヤ~な予感がして撮ったもの。
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緑色の緑錆に覆われた銅板(看板)建築は(この建物のまさに左隣にもある)、懐古的風情の景色として美しいものではあるけれども、興味のない人にとってはただの古い建物というだけのものだ。でもこの建物には、なんとも言えず惹かれた。いつ建てられたのか、誰が建てたのかは知らないが、数十年を経てもこれを建てた人のユーモアや技術、大工の心意気が伝わってくる。
ある日、この建物に入っていた不動産業者が移転の案内を出し、誰が新しい借り手があればいいがと願っていたら、しばらくして工事用の青いシートに覆われてしまった。
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修復などという期待をしていたわけではないが、前にトラックが止まり、解体が始まったことを確信、
そして4月27日、建物の高さが半分ほどになり、トラックに廃材が積まれているのを見るにつけ、なんだか友人をなくしたような、うまく言えないが、東京に出てきて同年代か少し年上の気の合う仲間に出会い、その人が突然亡くなってしまったような、少し大げさだがそういう喪失感をおぼえた。
5月10日、もう建物は無い。
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