2010年5月11日火曜日

顔の形の看板建築が、取り壊されてしまったよ。

 看板建築っていうのは、関東大震災の後に多く建てられた、一階が店舗、二階、もしくは三階が住居という商店のかたちで、店の前の壁面は建坪率の問題で庇を設けない平面、壁を銅板やモルタルで装飾、銅板建築というほうが一般的なのかもしれないが、とにかく関東地方に多い建築様式なのだと言う。

 東京に出てきて浅草に住み、神田で仕事をするうちに、緑色の壁の古い商店が、なんとなく好ましく、インターネットでそれとなく調べて、こういうのを看板建築とか、銅板建築とかいうのだということを知った。

 この写真は、銅板ではないが会社からほど近くにある看板建築。看板建築の命名者である藤森照信氏の著作はもう書店にはなく、図書館に行って読んだ。顔を模したものには、たしかフェイスなんとかだったかという名前がついていて、マニアも多いとあった。

不動産屋の営業所のようだったが、2月に空き家になった。イヤ~な予感がして撮ったもの。


2010年2月22日 顔を模した建物 神田界隈 看板建築
posted by (C)カントク

 緑色の緑錆に覆われた銅板(看板)建築は(この建物のまさに左隣にもある)、懐古的風情の景色として美しいものではあるけれども、興味のない人にとってはただの古い建物というだけのものだ。でもこの建物には、なんとも言えず惹かれた。いつ建てられたのか、誰が建てたのかは知らないが、数十年を経てもこれを建てた人のユーモアや技術、大工の心意気が伝わってくる。

 ある日、この建物に入っていた不動産業者が移転の案内を出し、誰が新しい借り手があればいいがと願っていたら、しばらくして工事用の青いシートに覆われてしまった。

2010年4月27日 ワシが知っている唯一の、顔を模した看板建築が取り壊されてしまった。東京に出てきて初めて知り合いになった友人を、亡くしたような気持ちになっている。
posted by (C)カントク



 修復などという期待をしていたわけではないが、前にトラックが止まり、解体が始まったことを確信、

 そして4月27日、建物の高さが半分ほどになり、トラックに廃材が積まれているのを見るにつけ、なんだか友人をなくしたような、うまく言えないが、東京に出てきて同年代か少し年上の気の合う仲間に出会い、その人が突然亡くなってしまったような、少し大げさだがそういう喪失感をおぼえた。

 5月10日、もう建物は無い。

2010年5月10日 顔を模した看板建築 今日は完全に無くなっていた。
posted by (C)カントク

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