2008年7月20日日曜日

単身赴任前に大阪で奥さんの実家で壮行会?を開いてもらったカントク

チャリです。

今日は7月の20日。カントクは、家族そろって奥さんの実家に行ったのだそうです。

カントクの奥さんの実家は、セレッソ大阪の本拠地、長居競技場から徒歩10分くらいのところで、ビルなどの電気設備と工事の仕事をやっていたそうです。

カントクも、もうちょっとうまく立ち回っていれば、今頃はその会社を継いでいたのではないかというような雰囲気もないではなかったのですが、その会社は、ずっと勤めてくれていた番頭さん?にすべて譲ってしまって、お義父さんは、悠々自適の生活に入ってしまった。ちょうどそれはバブルが始まった頃のことだったそうです。

「これくらいあればもう働かなくても暮らしていけるだろう。」 というような目論見もあったようで、それは幾分はずれたようではあるけれど、その後、カントクの住む町の、カントクの家のすぐ近くに家を買って引っ越してきて、盆と正月にはカントク一家を家に呼んでくれて、

舌のとろけるような牛シャブや、アワビの活け造り、正月にはオガクズにくるまった、生きた伊勢海老などを持ってきてくれたりしているので、まぁ、老後の不安はないようです。

でも、カントクは、
「メシがうまいんや。うん、メシが。いい米なんよねきっと。」 と、そのあとで食べるご飯が楽しみなようです。

今日は、カントクがもうすぐ東京に行ってしまうというので、いつもお盆に集まるカントクの家族と、カントクの奥さんのお姉さんの家族とが一同に集まって食事をしようということになったようで、カントクは、ひさしぶりに逢ったお義兄さんなどともいろんな話をして、実はなんだかとっても感動していたようです。

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こういうのって、いいなぁって思うんですよね。ボクはそのお義父さんにも、お義母さんにも、いや、カントクの家族誰とも逢ったことがなく、たぶんこれからも逢えないんだろうなとおもうけど。

今日は2008年7月20日 ボクがカントクと出逢うまで、あと13日・・くらい。

2008年7月18日金曜日

湧水とすかんぽの山(2/2)

(承前)山の中腹にある岩湧寺まで下ってきた。周辺はきれいに手入れされた芝生の休憩広場になっている。林では鶯がいい声で鳴いている。

岩湧寺は役小角の開基、本堂は江戸初期(市指定文化財)、多宝塔は天文年間(室町時代1532-1555年)頃の建築(国重要文化財)、本尊の大日如来坐像(国重要文化財)は平安末期の作、境内の杉林も樹齢400年以上と、いずれも大変に古い。

すかんぽ この境内から石階段、石畳の旧参道に降りる。小さな滝から川沿いの道を行くと、土手にすかんぽが大量に自生していた。

すかんぽなんて食べるのは何年ぶりだろうか。八百屋なんかでは売ってないからねこれは。

さっそく皮をむいて食べる。水分が多く、茎もやわらかい。上モノだ。

そうそう、この植物とほとんど同じ姿形で、でも食べると凶悪に思いっきり苦いやつがある。

こやつとすかんぽの違いは葉の形。葉先が丸いのがすかんぽ、ギザギザなのが「すかんぽもどき(←今考えた)」わかっちゃいるんだが、何度か間違えて苦い思いをした。

もう2、3本引き抜き、食べながら歩く。寺からのルートの終点近く、つまり古参道の始点近くに、『長寿水』という湧き水がある。


『或る年、紀州や河内地方が大旱魃に見舞われ、困った村人が山に登り雨乞いをしたところ、天狗が現れ錫杖で一突きしたら、こんこんと水が湧き出し、人々を救ってくれた』

『ありがたや 岩湧寺の 長寿水 のみて 後生を たのめ 観音』
岩湧寺の御詠歌
冷たい水が豊富に湧いており、ここで顔を洗ったり、水を飲んだりして少し休憩する。





平日はさほどでもないが、休日には遠くから車で水を汲みにくる人もいて、行列ができているときもある。近くに駐車場はあるものの、ポリタンクやペットボトルを山ほどかかえたり台車に載せたりして、50mくらい石畳の坂道を歩かなければならない。

台車の車輪が石畳の溝に落ち、その衝撃で目一杯水の入ったポリタンクがいくつかバラバラと道に落ちてしまうところも目撃したことがある。結構な重労働だ。

私はバイクをこの先の駐車場に止めてある。岩湧山にはいくつか登山ルートがあり、私はこの湧き水のあるところから少し下ったところにある登山口から入り、尾根をぐるっと一回りして岩湧寺に降り、湧き水経由で駐車場に戻るルートをとることが多い。

バイクにはポリタンクが二つ積んである。湧き水のところに戻り、水を詰めて家路につく。この水で鍋などをすると、むっちゃくちゃうまい。

(監)

湧水とすかんぽの山(1/2)

今日は7月18日。大阪の夏は暑い。特に梅雨が明けて天神祭、祇園祭などが行われる頃というのは格別に暑い。

大阪で初めての夏を迎えた社員が、
「カントク、大阪暑いデス。トケます。祇園祭りに行って肩が焦げつきました」
と言ってくるくらい暑い。

7月中は家で過ごしていた。冷房はあまり好きではないので、午後の日差しがたまらなくなる2時、3時あたりまでエアコンをつけるのは我慢する。

でも、暑いとそれだけで体力を消耗したり、ストレスもたまるので、2年ほど前からちょくちょくと、山に行くようになった。単車で30~40分くらい走って、河内長野市にある岩湧山に登る。
新日本百名山の1つ。山頂からは大阪平野、大阪湾を臨むことができる。また山頂付近の約8haは茅場になっており、秋にススキの穂が広がる様は美しく、新河内長野八景に岩湧山頂の花すすきとして登録されている。ここで収穫された茅は文化財建築の修復などに使用されている。  参考:ウィキペディア(Wikipedia)

近くに金剛山という大阪で一番高い山(1,112m)もある。登頂のたびに専用スタンプシートにハンコを押してくれ、その回数によって色の違うバッチをもらえたり(買うのだが)、登頂100回を超えると、山頂の広場の大きな掲示板(記名板)に、登頂回数と氏名を掲載してくれたりする。

毎朝この山に登ってから出勤、もう1万回以上登った(毎日で計算して25年以上?)という猛者もいるほど人気の高い山だ。

でも、私はこっちよりも岩湧のほうに行く。金剛山の登山道というのは、かなり整備されており、登りやすいようにと木で階段が作られているのだけれど、この階段を登っていると、山を登っているという気がしないのだ。

そして、もうひとつ、岩湧山にはその名の通り豊富な湧き水があり、山のいたるところで水が流れているためだろう、山全体が涼しいのだ。

どんなに暑い日でも、湧水のある山腹の休憩所は肌寒く感じるほど。水を沸かしてラーメンなどを作って食べ、ベンチに寝転がっていると、涼しい風が吹き抜け、木がさわさわと揺れる。蜩が鳴き、あたりが薄暗くなるまでそのままうとうとと眠ってしまうことも度々だ。





岩湧山 湧水のある休憩展望台より、河内長野、富田林、堺を望む。(よく見えんが・・)



(続く)

2008年7月9日水曜日

西郷どんと彰義隊~上野公園を歩く(2/2)

(承前) 大仏さんから南へ歩き、西郷さんの銅像まで来た。

ここは何回か来たことがある。まぁ、ここに来たからといって何がどうということもないのだけれど、とりあえず上野まで来たんだから、西郷さんのところには行っとかないとね。というオノボリ発想だ。




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幕末の話が好きで、司馬遼太郎さんの本などもよく読んでいた。

ただ、龍馬暗殺後の鳥羽伏見やその後の薩長官軍の東征の話にはあまりいい印象がない。

まだ十分に攻勢を保てるはずだった幕府側が、徳川慶喜や榎本海軍の腰砕けや失策によって、会津や五稜郭の悲劇を引き起こした。

新政府に統一されてから、旧幕に味方した東北諸藩への、見せしめと言っていい施策や、龍馬発案によると言われるが、屯田兵施策でアイヌ民族への差別的な隔離政策が行われたこと、さらに日本が軍国路線を歩んでいったことなど、時代が自分に身近になってくるに従って、妙に居心地が悪いというか、世の中のどろどろを垣間見るような話だなぁと思って、あまり「その後」には関わらないで?おこうと思っている。

西郷さんのすぐそばに、彰義隊の墓がある。

彰義隊は、大政奉還後、寛永時に蟄居謹慎していた慶喜の助命嘆願を目的として旗本の二男、三男などを中心として結成されたようだが、佐幕派の浪人なども加わり、結局は賊軍扱いとなり、官軍に半日で「制圧」された。指揮官は大久保どんだったか、大]村どんだったかな・・。慶応四年(1868年)旧暦5月15日、後に上野戦争とよばれる事件である。



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この墓は、それから六年後の明治七年(1874年)に、ようやく新政府の許可を得て建立されたのだと、墓の横の看板にある。

しかし、よく考えると、官軍の旗頭であった西郷どんと、この上野の山にこもり、官軍との戦いで亡くなった人々を合祀した墓が、こんなに近くにあっていいんだろうかと思うのは私だけなんだろうか。

(監)

上野大仏てっぽ玉~上野公園を歩く(1/2)

(承前) 浅草から車に乗せてもらって、不動産屋の事務所のある入谷まで来た。手続きが終わるころ、愛からメールが入ってきた。

「お蕎麦くらいなら、さっとゆがけます。」

う~ん、愛の家はこの近くなんだよなぁ。ストイック生きると決心したのに「行きます」とメールを返していた。愛の家でお蕎麦をごちそうになり、鶯谷の駅まで送ってもらった。

ここは上野公園の一番北側にあたる。まだ日も高いので、公園をぶらぶらと歩き、上野駅から電車に乗ろうと思った。

ずいぶん昔に、このあたりのホテルに泊まり、朝少し早起きをして公園内を歩いたことがある。

その時、左甚五郎作の昇龍・降龍の彫り物がかかげてある門に偶然出くわし、

「これって、落語か昔話に聞いた名工比べの、甚五郎の龍は荒々しく、もう一人のは精緻だが、門上に掲げてみたら精緻な龍はうなぎのようにのっぺりと見え、甚五郎の龍は今にも動きそうなほどリアルに見えた。というやつ?いや、あれはこういう門柱のところじゃなくって、高いところに掲げたっていう話だったよな。」

などと思ったりしたものだった。

噴水のある池の横を通り、上野大仏という看板を見つけて階段を登った。そこには顔だけの大仏があった。上野大仏略儀にはこうある。



 寛永八年(1631年)に、越後の国村上城主 堀丹後守直寄公旧自邸内に釈迦如来像を造立。

明暦・万治の頃(1655-60年)木食僧浄雲師により銅仏に改められた。

(中略)

大正十二年関東大震災によって佛頭がおち、寛永寺にて保管、その後解体され第二次世界大戦時に献納された。

 昭和四十七年春彼岸、尊顔を再び旧地に迎えて祀り再建を計る一助とする。

なるほど、大仏さん、震災で頭落ちるわ、体は鉄砲の弾になっちゃうわ、ほんとにいろいろと大変だったんだなぁ、と思いつつ、階段を下りた。

続く

カントクのチャリ

チャリです。

カントクは2008年7月9日に、転職の打ち合わせで東京に来た。交通費や宿代も転職先に負担させ、打ち合わせの翌日を住む家探しにあてた。

不動産屋に、
「ええか、とにかく浅草駅に近くて、隅田川沿いで、花火のみえるとこ。あと、気持ちのいい公園近くで、できればジョギングコースのあるとこがええな」と、言っていたそうで、

大阪の田舎モンが、これから東京で生活をしてゆくのだという真摯な姿勢は全く見えず、ほとんど観光気分で東京生活の拠点を決めようとしていたとしか思えない。と感じるのはボクだけだろうか。

とにかく人の多いところにいると眩暈がし、酒は飲むけど静かなところでないと機嫌が悪く、うるさいところにいると「じゃかましい!」と怒鳴りたくなるという、典型的な離人症タイプの人なわけで、こんな人がまたなんでわざわざ人の多い東京で働く気になったのか、かなり理解に苦しむのだが、まぁ、いろんな事情があったんだろうとは思う。

東京で働くと決めた時に、カントクは、特に何の根拠もないながらも、
「とにかくワシの住むところは上野か浅草界隈しかない」
と、決めていたようで、地図やインターネットでいいところがないかといろいろと調べているうちに、

「上野に住むと、『我が愛』との距離が近すぎる。愛は、賄い一切面倒を見ると言ってくれているが、いい歳こいて愛に溺れてはわざわざ東京へ来た意味がない。ここは浅草芸人として、イチからストイックに修行するのが男の道なのだ。」

など、まじめなのかナルシストなのか、あるいは単なるあかんたれなのか、社会的にも人類学的にもほとんど意味のない理屈で、浅草に住むことを決めたらしい。

今日は2008年7月9日 ボクがカントクと出逢うまで、あと24日・・くらい。

四万六千日のむぎとろ

今日は7月9日。前に東京に来たのは、いつだったろうか。夜、神田西口商店街で焼き鳥を食べていると、不動産屋からメールが来た。

『浅草むぎとろという物件が出てきたのですが、明日見に行かれますか?』

浅草むぎとろという物件・・・物件? 物件っちゅうとマンションっていうことやんな。
まぁなんだかおもしろそうなので、とりあえず見るだけは見てみようと「行きます」とメールを返した。

今日はドーミーイン浅草というホテルに泊まる。このホテルの横に、第一候補にしていたワンルームマンションがあり、道路横だけど夜うるさくないかとかをこのホテルで試してみるつもりだった。

ホテルのベランダから隅田川を眺めることができる。川の近くだからだろう、涼しいとまではいかないが、風が通って気持ちがいい。外の音も聞きたかったので、窓を開けて寝た。

朝、6時前だったろうか、東武線の電車が川を渡って駅に回り込んでくる時のレールの軋み音で目が覚めた。結構大きな音だ。う~ん、毎朝この音を聞いて目覚めるというのはよくないなぁ。

10時。ホテルのフロントで、愛と、愛の小学校の同級生の不動産屋さんと待ち合わせ。当日は、同級生ではなく、その子分が案内してくれることになっていた。3人でまず隣のマンションへ。新築できれいだが、なんだか部屋が暗く、またどうにも狭い感じがする。玄関が川側で、部屋から川が見えないのも少し不満だった。

今日、見てまわろうと思っていたのは、むぎとろを合わせて3軒。うち1軒は部屋のタイプが3種類あり、まぁこれで気に入らなければまたの機会でもいいのかなと思っていた。

むぎとろのほうが近いというので、2軒目はそっちにした。ほんとだ。「浅草むぎとろ」という店があり、その上がマンションになっているようだ。

「あれっ? 鍵が合わないですねぇ・・。」と子分君が言う。「おかしいなぁ」などと言っていたが、どうやら「むぎとろ」はもう一軒あるらしいことがわかった。

ようやく部屋に入ることができた。川側の壁がほとんど全面窓になっていて、部屋の中が非常に明るい。窓の外には川遊びの座敷船が泊められている。対岸に高速道路が通っており、車の流れ、川の流れ、船の行き交いが部屋の中から眺められるのがいい。洗面、トイレ、風呂が入口付近でなく、メインの部屋から入るようになっているのはありえないと思ったが、なんといってもこの窓からの眺めは捨てがたい。

愛も「いい部屋だと思う」と言ったので、ほぼ気持ちは固まった。「ここに決めよう。」と子分君に言うと、驚いた顔をしていた。「いいんですか? 何日かかけて何軒も回って、それでも決まらなければウィークリーマンションなどで一か月なり住んでその間に探す方法もあります。」などと言っているいるが、そんなことをしてたらかえって迷ってしまうし、最高にいい部屋を見つけたとしても隣の部屋に、夜中にバカ騒ぎする奴がいたり、上の階ではゴキブリを養殖しているような輩がいるかもしれないので、そう悩んでも仕方がないだろうと思った。

次のマンションを見に行ったが、もう部屋が暗いということだけで、気に入らなかった。少し広めの部屋も見たが、どうも一つ一つがせせこましい。愛が、体を斜めにしてドアをすり抜けないとたどりつけない対面キッチンに立って、「同棲サイズの部屋だね。」というのをドキッとしながら聞いていたが、まぁ、・・・そんな感じの部屋だった。

そのマンションを出て、子分君に、
「やっぱりむぎとろで決めだ。手続きしましょうか。」と言った。ふと横を見ると、歩道の柵に「四万六千日 浅草ほうずき市」の手書き風ポスターがあった。

そうか。7月10日は「四万六千日」。今日観音様にお参りすれば、四万六千日分のご利益があるという日だ。
「四万六千日、お暑いさかりでございます。・・・」で始まる落語「元犬」のさわりが思わず口をついて出た。
浅草近くの長屋の片隅で生まれた体の真っ白なシロという犬が、(真っ白な犬は来世は人間に生まれ変わるという迷信?がある)観音様に願をかけ、願いかなって人間になり、いろいろな騒動を起こす、という噺だ。

そうか。四万六千日。観音様のお導きでむぎとろに出逢ったか。へへ。いい話だねこりゃ。

(続く)

2008年6月30日月曜日

いくつもの山を超えて~2008年6月ごろのこと(3)

 


1枚目 まずは標高29.0Mの霊峰「小笠山(こがさやま)」を軽く制覇

2枚目 続いて目指すは「小笠山」と同じく標高29.0Mの峻険なる「笠伏山(かさぶせやま)」。お、木々のむこうに泉が見えている。火山性の山では噴火跡が湖になっていることがよくあるのだ。まぁ、ここの話ではないがね。

3枚目 この看板が山のいたるところに散見される。左上にカラスの子が3羽、真白三角目で大きな口をあけており、非常に不気味なイラストになっている。右は親ガラスが、どう見ても「シェー」いや違うな。これは「アッと驚くタメゴロウ」かな、をしており、「近くにカラスの巣があり、親ガラスが子供を守ろうと攻撃的な態度をとることがあるので気をつけてね」というような趣旨が全く伝わってこない。子供は凶悪そうだが、親はユーモラスだもんね。 また、「何をどう注意すればいいのかね?」という質問が沸いてきたりもして、人にモノを伝えるということの難しさを、文字通り絵に描いた、見本のような看板であるよね。

4枚目 というようなことを考えているうちに、道が険しく・・・ん? うん。険しくなってきた。この果てしなき急坂を登ってゆくのだ。

5枚目 こ、この果てしなき急坂を・・・登って、の、のぼって・・・

6枚目 さらにまだ延々と続くこの坂を上り詰め・・・

7枚目 ついに「双子山(ふたごやま)」標高33.3Mの征服に成功した。大泉連山の最高峰である。ここまで標高が高くなると酸素が薄いのか、呼吸が・・・はあはあ。

8枚目 「双子山(ふたごやま)」を下り、次の頂に向かう。ちと暗いが「双ケ丘(ならびがおか)」標高27.8Mに到着。今日の旅はここで終わりにしようと思ったとき、家の鍵がないのに気づいた。し・・・しまった・・どこで落としたんだろう・・・。そうか、きっとこういうおバカな写真を撮ろうと、カバンからカメラを引っ張り出したときに落ちてしまったに違いない。と、大急ぎで再びこの連山を制覇、さらに周回道路や樹のみちなど、今日歩いたところを小一時間も探し回ったが、見当たらなかった。 どうしよう・・・と憔悴して公園事務所に「すみません、鍵を落したようで、もしやこちらに届いてないでしょうか? 鍵束なんですけど、あ、自転車の鍵ばかりで束はない。すみませんが、もし届いたら電話いただけますでしょうか。えっと、パンダのキーケースに獅子頭の鈴、鍵が5、6本ついてるやつなんで・・・」と言うと、もうひとつの事務所に電話で聞いてくれた。「届いている」と言う。喜び勇んで自転車に飛び乗り、1.5km離れたもうひとつの事務所へ。  「あ、これです。双子山付近で来園者の方が見つけてくれた・・(やっぱりカメラ出したときやな・・・)そうですか、どうもありがとうございました。」 いやいやあぶなかった。今日は家に誰もいないので、夜に誰かが帰ってくるまで締め出されるところだった。鍵はいつもカバンのフックに引っ掛けて落ちないようにしてるのだが、今日はたまたまそれをしなかった。そしてそういう時にこういうことが起こるのだ。まったくほんとに困ったもんだよな。

(つづく)

大泉緑地で走ってた~2008年6月ごろのこと(1)

2008年6月。たしか1週目の週末を最終の出勤日として有給消化に入った。退職は7月末日付け。二ヶ月弱の長期の休みは働き出してから始めてで、どう過ごそうかと思っていたが、さすがに一週間くらいは家でごろごろしていたような気がする。
腱鞘炎の治療がてらに始めた心拍トレーニングがおもしろく、このまま家でごろごろしていてもしょうがない、大泉緑地にジョギングできる周回コースがあったことを思いだし、自転車ででかけることにした。

心拍計をつけて自転車に乗り、5分きざみで10拍ずつ心拍数を上げていく。最大心拍数は、私の場合130で設定している。最初の5分で100まで上げ、次の5分で110、最期の5分で120まで上げる。うまいことに、家から大泉公園まで、ピッタリ15分だった。

ジョギングコースに入り、120拍から130拍の間で走ったり歩いたりする。心拍計にこの値をセットしているので、心拍がこの範囲を外れると警告音が鳴る。

一周4Kmのコースを2周、調子のいい時は3周したり、公園の中を散歩したり、ベンチに寝転んで本を読んだりした。ほぼ毎日、7月中旬までこういう生活を続けた。今思えば、どこかへ旅に出てもよかったし、お世話になった方々への挨拶まわりなどもしなければならなかったのだが、なんだかそんな気分にもなれなかった。

(つづく)

2008年6月25日水曜日

くまを洗ってあげたんだ~去年の6月ごろのこと(4)


   


1枚目 こいつは、約20年前からうちにいる。その間、洗ってやったかどうか記憶が定かではないが、とにかくここ数年は全くかまってやっておらず、ずいぶんほこりっぽく毛もガビガビになっているので、風呂に入れてやることにした。なんせこの大きさなので、水を含むと寝返りもうたせられないくらいにむちゃくちゃ重い。あれっ?鼻は黒かったのに、いつの間にか白くなってしまっている。こいつも歳をとったということか。

2枚目 これだけ水を含むと一週間くらいは乾かないだろう、ましてや今は梅雨時期・・・。やむなく、洗濯機に押し込んで、脱水することにした。うちの洗濯機は8Kgまで洗えるが、脱水機は「う~ん、う~ん」とか言って、なかなか動き出さなかった。写真は脱水が終わってでできたところ。かなりつかれたような顔をしている

3枚目 薄汚れていた「月の輪」も復活。シャンプーのいいにおい、毛もやわらかくなったようだ。手足をマッサージしてやったら、焼酎を片手に眠ってしまったようだ。

4枚目 これはその翌日、昨日は軒下の私のバイクの上で寝させたが、まだ湿気が抜けないので、今日は自転車の上でひなたぼっこをすることにした。雨の予報だけれど、日がさしてきたよ。

5枚目 また眠っているようだ。

6枚目 前はほぼ乾いた。顔もおなかもぽかぽかになっている。今度は後頭部と背中だ。

(了)
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