2008年12月25日木曜日

ひさしぶりに風邪をひいたカントク 扁桃腺が弱いんだね

今日は2008年12月25日 カントクは咳止めを買った。アネトンという顆粒のやつで、寝入りばなや夜中に咳が出て止まらない時に水なしで飲むと良いのだという。書いてある用法と違うよカントク・・・。

ここ数年は風邪ひかないようになってたのにぁ・・とカントクは言う。
子供の頃から扁桃腺は大きいと言われてて、医者に手術を勧められたこともあるというから、もしかしたらその体型ほどには丈夫なほうじゃないのかもしれない。

学生の頃も社会人になってからもよく扁桃腺を腫らして休んでいたってことだけど、厚着をやめたり、天気予報で気温を確かめる習慣をつけたり、お酒の量が減ってきたり、そうそう、一日二箱くらい平気で吸ってたタバコをやめたりするうちに、風邪をひかなくなってきたらしい。

東京で過ごす初めての冬なんで体調管理がうまくいかなかったのかなぁ。

今日は2008年12月25日 カントクと会ってから145日目。

2008年12月7日日曜日

2008年12月7日 通天閣、お好み焼き「うさぎ」、日本橋三丁目歩道橋から。

通天閣。上まで登ったの数十年前に一回か二回。

恵美須町から通天閣までに気に入っている店いくつかある。中でもうさぎやの焼きそば大が大好きだ。おばちゃん二人でやってたが、一人は姿見えず、焼き手は兄ちゃんになっていた。もう一人のおばちゃんがどうなったかは怖いから聞かなかった。更科の蕎麦、万よしのヒレかつ、グリル梵もよく行った。

日本橋三丁目の歩道橋から。この歩道橋取り壊されるとか。ここから見る見本橋が一番日本橋らしいのに残念だが、まぁ使われないんだろうなぁ。昔はニノミヤの赤、ジョーシンの青、ミドリ・マツヤの緑で華やかだった。

2008年11月29日土曜日

2008年11月29日 【動画】七味唐辛子売り 酉の市 浅草鷲神社参道にて




いくつか唐辛子売りの屋台はあったけど、この人の口上が一番うまかった。唐辛子の盛りもいい。

2008年11月29日 【動画】酉の市 浅草鷲神社参道の射的で遊ぶ子供




東京の子供は、もうこんなものには興味ないかと思っていたが、ずいぶん楽しそうだ。日本も捨てたもんじゃない。

2008年11月29日 浅草酉の市 吉原 見返柳

浅草大鳥神社 酉の市。商売繁盛の縁起ものが並ぶ。関西の十日戎に非常によく似ている。熊手の商談が決まると店の若い衆が揃って三三七拍子を打つ。粋だねぇ。

これも縁起物だが、細工がすごい。江戸にはまだこういうものをつくれる職人がいるんだねぇ。

お参りが終われば旦那衆は吉原へ。吉原の大門を出で、後ろ髪をひかれる思ひで見返す柳の下なりき。チョーンと拍子木入ル。

2008年11月24日月曜日

2008年11月24日 浅草 牛嶋神社 撫牛

浅草から隅田川を渡ったところに、牛嶋神社はある。

案内板を読むと、

自分の悪いところを撫で、牛の同じところを撫でると病気が治るというものだが、この牛嶋神社の撫牛は、心も治してくれるという。

『なで牛の石は涼しき青葉かな (淡島寒月)』

『どこかメランコリックな目ざしをした牛がたいへん好きだった(堀辰雄 『幼年時代』)』

とある。

2008年11月17日月曜日

小川町の公園、浅草隅田川周辺の紅葉

11月17日 小川町のとある公園。木漏れ日が紅葉に映えて美しい

同じところ。もう一枚。

11月24日 浅草隅田川沿い

あ、神社めっけ。

2008年11月11日火曜日

手帳を買うのに浅草、神保町、丸の内オアゾまで回ってきたよ。

今日は2008年11月11日。 カントクは長く使える手帳がほしいと思って、インターネットでいろいろ調べたり、文房具を扱ってる店があると、必ずといっていいほど店に入っていった。

主に見ていたのはシステム手帳。やわらかい皮の手触りのよいものが欲しかったようだが、でも内張りも革のものはなかなかなく、あっても機能的じゃなかったりして、なかなか決められないようだった。

結局買ったのはシステム手帳じゃなく、トラベラーズノートという一枚革を二つに折りたたんだだけのようなもの。
ゴム紐がついていて、なんでもかんでもそのゴムに挟み込んでいく。
このノート用のリフィルや、名刺やチケット、レシートなど、ちょっとしたものを入れられるジッパーつきホルダー、ペンホルダーなど、専用の小物も多く、愛用者も多いようだ。

で、今日、会社の昼休みに東京駅近くの丸の内オアゾ丸善で買った。気に入ったのが見つかってよかったね。

今日は2008年11月11日 カントクと出会ってから101日。ワンワン

2008年11月6日木曜日

2008年11月6日 霞が関ビル

経済産業省が推進しているe-物産市という、地方の物産をインターネットで販売していこうという取り組みで、地方自治体や大学の研究室なども、地域エージェントといかたちで参加をしている。

三日間、75コマだったかに渡って、この地域エージェントたちはインターネットビジネスに関する講義を受けるのだが、その講義の中の一コマを、私が受け持つことになった。


霞が関ビル11階会議室に、40名くらいの地域エージェントの方々に45分間で講義をさせてもらったのだった。

2008年11月5日水曜日

2008年11月5日 渋谷 ハチ公

渋谷に来たら必ず見たい。ハチ公

2008年10月29日水曜日

浅草蛇骨湯経由で宮崎地鶏を食べに行ったよ

今日は、2008年10月29日 ハンガーを買った日、カントクとボクは、夕方から蛇骨温泉に行った。

ホームページなどで、黒褐色のお湯の天然温泉だとか書いあるので、いつか行こうと思っていたらしいのだが、今日ようやく思い立って行く気になったらしい。

「風呂屋のタイルは富士の山という日本の正しい銭湯の姿はいいなぁ。ここの富士は特になかなか風情があっていい。」とカントクは思った。

露天と言うには少し狭いが、庭を見ながら入れる浴槽もあり、ここまで狭いと逆にすごいと感心しきりだったサウナも、まぁ人の多い土地の狭い東京だとしょうがないかとカントクは言って笑った。



風呂を上がってから、カントクはそのまま家には帰らず、田原町の駅近く、浅草里見の近くの宮崎地鶏の店前にボクを停めた。

ぢどり亭という薩摩地鶏の店があって、カントクはここのモモ炭火焼と皮焼きをこよなく愛している。大阪の家に近所にもこの店の支店があったらしいのだが、店を閉めてしまったらしい。

さて、ここのお味はどうでした?あれ? ちょっと不機嫌だなぁ。

今日は2008年10月29日 カントクと出会って88日

ここで煙草を吸われると、火災報知器が作動いたしません。

上野多慶屋のトイレの中。
ははは。

上野の多慶屋でハンガーを買う。これで雨の日でも部屋干しができるようになった。

今日は2008年10月29日 服が少しずつ増えてきたようなのと、雨の日でも部屋干しができるようにと、今日はハンガーを買いにいくことにした。

ちょっとチャンピオンに行くのも飽きてきたので、今日は上野の多慶屋まで。浅草から距離的にはおんなじくらいなのかな。

高さや幅が調節できて、下にコマがついているステンレスのダブルハンガーがあったので、これを購入。1800円 安っ!

帰りに雷門から少し南にあるまるごと北海道っていう店で、バタークリームロール、とうきびチョコ、バター飴となんとか貝の入ったまぜごはんの素とかも買って帰ってくる。

ハンガーを組み立てて、部屋の東側に置く。天気のいい時は朝から日差しが差し込むので、部屋の中でも十分乾くとカントクは上機嫌だ。

今日は2008年10月29日 カントクと出会ってから88日 お、末広がりで何かいいことあるかな。

2008年10月28日火曜日

古本の街 神田神保町 本は好きだけど人がキライなカントク

今日は、2008年10月28日。

カントクはよく神保町に行く。学生の街なので昼食が安くてうまくて量もあるというのと、いろんなタイプの古本屋が立ち並んでいて、古本屋めぐりをしているだけで楽しいのだと言う。

カントクは、古本屋に行くと自分を読んでほしい、手元に置いてほしい、と言う声が聞こえる時があるのだと言う。

実際、なんだか呼ばれているような気がして入った古本屋で、積み上げられた奥の奥からほとんど手探りで引っ張り出して買った本に、いたく感銘を受けたというようなことがあったらしく、それ以来古本屋を見かけると、必ずと言っていいほど店内を一巡りする。

神保町は古本の街。カントク、はじめのうちはおもしろがっていろんなところに出入していたが、最近はあまりこのあたりをうろつかず、もっぱら千代田区役所の図書館へ行く。

「本がうるさい」のと「人が多い」のが気に入らないのだそうだ。あ~あ。

2008年10月26日日曜日

押上のチャンピオンで、鍋とか棚も買ってきたよ。 ここにスカイツリーが建つんだね。

今日は2008年10月26日 今日もチャンピオンに行ってきた。


ちょっと前の19日に、カントクは大阪の千日前道具屋筋っていうところで、ザルカゴと丸いステンレスの板、それに紙を買ってきた。カントクは卓上用のIH調理機を持ってるんだけど、これで紙鍋をするのだという。

そんなの近くの合羽橋で売ってるだろうと思うんだけど、カントクお気に入りのなんとかっていう会社の業務用シラダシっていうのがこっちで売ってないらしくって、それを買ってくるついでに思いついたようだ。

でも、いっつも紙鍋っていうのも風情がないというので、チャンピオンに行って土鍋とか鉄鍋とかも揃えようということになったんだ。

いい感じの鉄なべがあったのでそれと、レンゲ、少し大ぶりの鍋用小鉢、ついでにIHでも使える両手なべ、片手なべも買ってる。今まで鍋って一つしかなかったので、洗って使って洗って使ってしてたんだけど、これで少し楽になるって、洗い残しする気満々だね。

あれ、この前買ったステンレス棚も持ってる。この間より千円安くなってるって言うけどホントに要るの?

この棚、結構重いんだけど、カントクは田舎の子だから、鍋類は前カゴとハンドルにぶらさげ、棚はクルクルっと紐で荷台にくくりつけて、片手ハンドル、片手で棚に肩組をするような格好でボクに乗る。あぶないなぁ・・・。

そうそう、ここは東京スカイツリーが建設される現場。

ちょうどチャンピオンへの行き帰りにある。まだ事務所みたいなものしかない状態だけど、もうすぐ本格的に工事が始まって、この道は閉鎖されて通れなくなるらしい。

今日は2008年10月26日 カントクと会ってからもう85日

2008年10月25日土曜日

2008年10月25日 友人宅で鍋を食う

西船橋の友人のマンション。転勤で東京を離れることになったという。
鍋をご馳走してもらった。「これが一人暮らしの勲章だ」と見せてもらったのは割り箸の束。ずっしりとしたのが二束。

買い物ついでに近所をひとめぐり。結構古く大きな家が多い。「この神社初めて来た。」と友人は言う。

キムチ鍋をごちそうになった。ごちそうさま、ありがとう。

2008年10月16日木曜日

2008年10月16日 飛行機からの富士山

雲上頭出 下聞雷鳴 富士は日本一の山

2008年10月12日日曜日

2008年10月12日 駒形どぜう

酒は浅草神社一ノ宮

どぜうのいかだ焼き

どぜうの開きなべ

どぜうの柳川
どぜう汁

どぜうまるなべ
炭火に丸い平鍋。いずれも年季が入っている。

2008年10月8日水曜日

2008年10月8日 巨人阪神戦

2008年10月8日 巨人阪神戦 阪神独走消化試合と思われた一戦が優勝を争う天王山の一戦となった。
このチケットでビール一杯とジャイアンツのノベルティがもらえる。

東京ドームでも阪神ファン多い。少し安心。

阪神負けた・・自転車に乗って帰ろう。
この試合で明らかにはずみのついた巨人は、この年優勝する。

2008年10月7日火曜日

2008年10月7日 皇居公園 巨大金木犀発見

皇居の公園の中に、山のような巨大金木犀を発見。ちょうど花も満開でいいにおい。

江戸城天守閣跡石垣も一部残っている。

江戸城松の廊下跡・・・。

2008年10月6日月曜日

そろそろ秋だから、マットレスを買いに行ったよ


今日は2008年10月6日。カントクの部屋にはベットは置いてない。セシールで買ったスノコロールっていうのをフローリングの上に敷いて、その上に薄いベットパッドっていうのかな、それを敷いて寝てる。

10月に入ると朝晩の気温が低くなってきて、これから冬に向かうってこともあって、マットを買おうということになったんだ。

で、またオリンピックへ。通販とかじゃなくっていいの?マットって結構大きいんじゃないの?って言っても無駄か。

で、こんな感じで帰ってきました。カッコワルイ・・・。

2008年10月2日木曜日

2008年10月2日 博多くるときゃ一人で来たが

あくび達磨。口の形がたまらない。帰りはこやつと二人連れ。

霊泉 鶴の井戸。塩辛く苦味のある水だった。

オッペケペーの川上音二郎像

櫛田神社に奉納されている山笠。

さてもみごとな櫛田のぎなん。
夫婦銀杏の雌木。寄りそう雄木には当然ながら銀杏はならない。

中洲橋上屋台の一口餃子

博多水だき。ダシが最高にうまかったなぁ。

中洲の屋台。

2008年9月14日日曜日

2008年9月14日 蔵前、旧安田庭園あたり 神輿も出てにぎやかな

蔵前国技館 9月場所が始まっているようだ。国技館に力士が力士が到着するたびに歓声や拍手があがる。


祭りの季節ではあるが、秋場所に合わせてということだろうか、神輿が多数出ている。

旧安田庭園というのが目についたので入って見る。

案内板によると
この地は元禄四年、当時下野国足利二万石の領主であった本庄因幡守宗資が幕府から拝領して下屋敷を構え、以後、代々本庄家に引き継がれてきたものである。

 庭園は宗資の築造といわれ、隅田川の水を導いた潮入り回遊式庭園で、規模は小さいが江戸名園の一つに数えられていた。


明治維新後に一時、旧備前国岡山藩主池田章政の邸地となり、更に明治二十四年、安田善次郎の所有となった。

善次郎の没後、その遺志によって大正十一年東京市に寄付され、一般に開放されることとなったが、翌年九月の大震災によりほとんど旧態を失った。市は、幸いにして残った地割り石組みを基にして復元に努め、昭和二年七月、市民の庭園として開園した。
昭和四十二年四月東京都から墨田区に移管になったが、戦後の隅田川の汚濁による池はよごれ、公害等の影響によって樹木が枯れるなど、名園としての面影が失われつつあった。


墨田区において潮入りの池の再現、樹木の植栽、修景施設の手入れなど、その全面的改修工事を行い、昭和四十六年五月、名園といわれた往時の姿を復元したものである。』

とある。
汐入池の水門の跡という看板。隅田川の干満によって池の水量を変えて庭の風情を楽しむという、自然を利用した贅沢なしかけだ。

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