2007年6月15日金曜日

タイプライター物語 (5)

(承前) 朝、6時くらいに目が覚めてしまった。大人気ないが、今日来るタイプライターを楽しみにしていた。

10時頃、クロネコヤマトのトラックが道路の向こう側に止まっているのが見えた。そわそわと落ち着かず、外に出たり部屋の窓から様子を見ていたが、運転手はどこに行ったか姿が見えない。

買い物から帰ってきた妻が、「何をバタバタしてるの?」と聞く。

「実は、あのヤマトのトラックに、ワタクシの荷物が載っているはずなのです。」

「何が届くの?」

「実は、・・・タイプライターを買ったのです。」

「どんな?」

「・・・それは秘密です。」

ようやくインターホンが鳴った。包装を解くと暗紫色の木のケースが出てきた。角は塗装が取れてベニヤの木肌が見えている。革の取手は一方が千切れている。ケースを開けると、昔のミシンのような懐かしい機械油の匂いがした。

ケースの裏蓋に、シールだろうか、いや、直接印刷したような文字がある。






PACIFIC STATIONAERS

1331 GARNET STREET

SANDIEGO CALIFORNIA

PHONE H8-2216

カリフォルニア州サンディエゴのガーネットストリート 1331番地 「パシフィック・ステーショナーズ」というのは販売店の名前だろう。このシールが保証書のような役割をすることもあったのだろう。壊れたらこのH8-2216に電話すればよい・・・。

食卓の上に置く。妻が言う。

Royal_portable_typewriter
「かわいいやん。」

「ええ感じやろ? でも中古は嫌なんちゃうの?」

「中古はイヤやけど、アンティークは好きよ」

「あ・・そう。」

「幾らやったん?」

「言えません。」

「5万円くらいした?」

「・・・それは秘密です。」


妻は学生時代に、顧問の先生目当てでタイプライタークラブ・・に入っていたので、タイプライターの使い方に詳しい。まずは動作の確認を兼ねて、彼女にタイプしてもらうことにした。

紙を入れてキーを叩く。リボンが乾いているとのことだったので、印字は薄いが、ペーパーロールもキャリッジもきっちりと動き(あのレバーは紙の位置を左端に戻すだけ(CR)だと、なんとなく思っていたのだが、改行も兼ねている(CR+LF)んだねぇ。)、動作にほぼ問題はなさそう。ん? インクリボンの位置が少しおかしく、ハンマーにうまく合っていないようだ。

リボンを押し上げるスライド部を何回か手で押し上げてリハビリをしてやると、インクリボンがきっちりと動作して、黒々とした文字で印字されるようになった。印字が薄かったのは、インクが乾いているわけでなく、インクリボンがうまくハンマー部と連動せず、ハンマーだけが紙に当たり、ハンマーについていたインクが紙に写っていただけということらしい。

いくつかのキーが、戻らない。1/2や1/4などの普段使わないキーだが、これもリハビリしてやれば元気を取り戻すだろう。

私もタイプしてみる。一年ほど前からスペイン語の勉強を始めていて、全く上達の兆しを見せないのだが、NHKのテキストを取り出し、昨年4月分からの文章を打ってみる。

Hora quetal ・・・ん? 「!」がない。この「c」に斜め線の入ったのか?、いや、これは「セント」かな・・・あれ? 数字の「1」もないぞ。・・・そうか。「l(エル)」で代用するのだ。合理的と言えば合理的な、大雑把と言えば大雑把な考え方だ。

タイプの音が心地よい。一文字一文字が紙に刻まれてゆく感じがいい。指の力がそのままダイレクトに文字の濃さになる。少し気を抜くと左手小指で打つ「a」などは、読めないくらいに薄くなってしまう。シフトキーを押すと「ガコン」とペーパーロール自体が持ち上がる。シフトって、そういうことなのだ。

この感覚はなんだろう。なんだか機械と人間が一緒に作業している、一緒にがんばってるという連帯感みたいなものを感じる。

紙が右端近くになると、「チン」とベルが鳴る。それでもまだ3文字くらいは打てるが、それ以上打とうとすると、キーがロックされる。最初は壊れたかと思ってドキッとしたが、そういう仕様になっているのだ。本当によくできているものだ。これだけの機能が、この70年前の小さな機械に詰まっていることに改めて驚いた。

さらに、この状態でも、左上端(PCの「ESC」の位置)にある「Margin Release」というキーを押すことで、自己責任でタイプを続けることができるということもわかった。なんともはや、「人間的な機械」じゃないか。

ふと、「喋るようにタイプする」という言葉を思い出した。それはたぶん、タイプライターというのは文字を手で書くよりも数段早く文章を作成することができるということを表したのだろうけれど、喋るのとタイプするのがシンクロするイメージは、たとえばタイプライターを打楽器として、歌詞をタイプしながらその歌を歌うというような、ロマンチック?なシーンを想像させる。

そんなことを考えながら、喋るようにとも歌うようにともいかないが、テキストを声に出して読みながらタイプしてみた。すると、不思議な感覚があった。単語を指が覚えていくのが実感できるのだ。これは、・・・いい。綴りを思い出すのに、指がキーの位置に動いた。もしかすると、これは最高の語学学習法かもしれない。

今、このタイプライターは、リビングの食卓の、私が座る定位置の横にある。ほとんど毎晩、スペイン語のテキストを読み上げながら、B5で1〜2枚ほどタイプする。家族には少々うるさがられている。

娘は、「私のために買ってくれたんやろ?」と言うが、それにはなんとも答えられずにいる。もう一台、娘のために、いや私のために買うべきだろうか。

(監)

タイプライター物語 (4)

(承前) 実用を考えるなら、アンティークではなく、「文字が打てる」というコメントのある不用品を選ぶのがよいと思った。新しいもののほうが、何かと便利な機能がついたり、進化して使い勝手も向上しているだろうし、ブラザー、オリベッティといったメーカーのものであれば、インクリボン等の消耗品や、修理部品なども手に入りやすいだろう。そして、デザインにこだわらなければ、高くても3千円くらいまでで手に入る。

一方でアンティークも捨てがたかった。古いものが好きなのだ。中学の時だったか、骨董屋で振り子の柱時計を買って部屋に置いていた。ゼンマイを巻くキリキリという音、コッチ、コッチという振り子、ボ〜ン、ボ〜ンという時報。眠れない夜などにそれらの音がわずらわしいと思う時もあったが、長く使った。

ずいぶんと考えたが、結局、アンティークに決めた。使っていて壊れてしまったり、使わなくなっても、置いておくだけで、部屋はいい雰囲気になるだろう。そして、もし、誰にも必要が無くなったときには、誰かにあげても喜んでもらえるだろうし、売るという選択肢もある。

選んだのは、Royal Portableという、1930年代に製造されたタイプライターだ。インクリボンが乾いて印字が薄いが、動作にはほぼ問題がないと書いてある。ただし、古い物なので実用よりは鑑賞用として考えてほしい。とも・・。

「概ね問題ございません」という、「概ね」に、一抹の不安を覚えたが、少々の不具合があっても、直せないことはないだろうと思った。

アンティークと決めて、もうひとつ、気になっているタイプライターがあった。Royal No.10というもので、これの製造は1910年代というから、もう百年近く前のものだが、完動するという。どちらにしようかとかなり悩んだ。

ROYAL NO.10 Typewriter
Royal No.10は、写真の通り、レジスターを思わせるような形で、いかにも古き良きアメリカといった堂々たる風情と、ごつごつとした「機械感」がいい。ShiftやBackSpaceキーのキートップがなんとも言えないアメリカ的な緑色で、そこも気に入ったのだが、いかんせん、一家庭に置くには大きく、重い感じがする。デスクトップパソコンと同じで、これを一旦置いたら、そうそう場所を動かすということもできないだろう。

一方、Royal Portableのほうは、姿形も可愛らしく、ノートパソコンのように、手軽に持ち運びができるコンパクトさや、「アヴァンギャルドな模様のレッドカラー」も気に入った。

他に入札はなかったので、終了日まで待って、最初の提示価格、19,800円で入札を行った。希望落札価格として24,000円が提示されていたが、まず誰も入札しないだろうと踏んだ。

オークションの終了はたぶん夜の10時くらいだったと思うが、翌日までそのまま放っておいた。落札できていればよし、できていなければあきらめて、Royal No.10を・・・と思っていた。

朝、メールを開くと落札の通知が入っていた。入金手続きをして、その旨を出品者にメールすると、10分ほど後に発送の通知が届いた。

すばらしいスピードだ。これで明日届く。休日なのでいろいろといじってみよう。

(続く)

タイプライター物語 (3)

(承前)いくつかリサイクルショップや骨董屋にも足を運んでみた。

リサイクルショップなら、ネットオークションで出ているような、10円100円というものはないにしても、1,000円や2,000円で、「頼むから誰か買って」状態のものや、倉庫の隅に転がっている掘り出し物があるかもしれず、もしあれば実物を動作させて購入できるのでそのほうがいいかと、三軒ほど回って聞いてみたが全滅だった。

Underwood_typewriter アンティークショップは二軒回った。
一軒で、埃にまみれたアンダーウッドを見つけた。結構よい感じだったが、いくつかのキーと、ペーパーロールも動かない。

年配の店主曰く、
「使わはるんでっか? 動きまっか? ワシら、これらは動かすもんやのうて置物(おきもん)として仕入れますからなぁ。気に入ってくれたんならサンゴ(3万5千円)と言いたいところやが、サン(3万円)でどうでっか?」とのことだった。







Olivetti_typewriter_lettera
「タイプライターやったら、ここにもひとつおますけど」と店主が指差したのは、山高帽の箱の下に隠れていたオリベッティのものだった。「こっちはちょっとキーがよう戻らんのやけど、油がねばってるだけなんで、きれいに油差したら使えると思いまっせ、これやったら8千円でよろしいわ。」








Remington_typewriter
もう一軒のアンティークショップで、レミントンのものを見つけた。これもいくつか戻らないキーがあるが、比較的きれいで、少しメンテナンスしてやればなんとか使えそうだったが、若い店員がやる気なさそうだったので、声をかけなかった。2万6千円の値札が貼られていた。

ようし。だいたいわかった。市場には、もう実用的なタイプライターというものは、存在しないのだ。せっかくいろいろと調べたからまとめておくか。




《タイプライター市場についての考察》

2007年6月における手動式タイプライターの入手方法について調査を行い、下記の結論を得た。

《結論》 業務での利用、あるいは調整された完動品を求めるのであれば、下記1)の都市圏にいくつかあるタイプライター取扱企業に依頼するのがよいだろう。趣味的な利用であるなら、売り手の顔が見えないことや、可動確認などいくつかの危惧はあるものの、4)のネットオークションでの入手が適当であろうと思われる。

1) メーカー、専門店
2007年6月現在、ブラザー工業で、現行商品としての販売が確認できたほか、東京、横浜、大阪などで、新製品および中古品の販売、修理、メンテナンスを行う企業が確認できた。インクリボン等の販売や出張修理なども行っており、タイプライターのニーズがわずかながら存在することがわかる。
ブラザー(メーカー・販売)
ひかり事務機(東京)

尾河商会(横浜)

フォーテック ビジネスマシンサービス(大阪)

2) リサイクル市場
リサイクルショップなど、流通一般市場においては、既に商品価値やニーズがなく、見つけることは非常に難しい。かなりの偶然性や趣味性の高いショップでなければ、入手は難しいものと思われる。

3) アンティーク市場
1900年代初頭から第二次世界大戦の終結(1940年代)あたりまでに製作されたタイプライターは、現在、芸術作品あるいは、アンティークディスプレイとして位置づけられ、2万円〜4万円程度を相場として、一般市場においても、わずかに流通している。しかし、その価値は骨董品としての色形や雰囲気に対するものであり、本来の機能であるタイピングの可、不可によって、その価値(価格)が変動するものではない。

4) 個人売買、フリーマーケット
休日に開催されているフリーマーケットなど、個人での売買市場では、不用品として流通する可能性はあるが、開催地まで出かけても必ず見つかるというものではなく、見つけたとしても種類や性能の点で満足できるタイプライターが手に入る確率は低いだろう。選択肢の多さで言えばネット上のフリーマーケットである、ネットオークションなどを利用するのがよいだろう。

さて、問題は不用品にするか、アンティークにするか。10円か3万円か。ここが悩みどころだ。

(続く)

タイプライター物語 (2)

(承前) 娘に万年筆をプレゼントしようと思っていた。大学に入ったら、シャーペンやボールペンでなく、万年筆を使え。と渡してやりたかった。

そう高いものでなくていいと1〜2万円見当で探したが、カタログや実物を見ても、どうもペン先やデザインが気に入らず、3万、5万円、あるいは10万円以上の姿のよいものに目移りがしてしまう。

そして、それくらいのものなら娘にあげるより、自分で使いたい・・私のモンブランは壊れてしまったからなぁ・・と、本末転倒なことを考えてしまった。

結局、買わず、他にプレゼントもせずに今日まできたのだが、彼女がパソコンを使って英語で文章を書いたり、プリントアウトしているのを見ているうちに、そういう課題や宿題が多いなら、万年筆でなく、タイプライターはどうだろうか、と思いついた。

早速、調べてみた。ブラザーなどではまだ新製品として発売しているようだ。しかし、


ブラザー EX-630
希望小売価格 ¥231,000
通常価格 ¥197,400
『タイピングしながら文書チェックができる2行40桁の液晶ディスプレイを搭載しています。英文ワープロ並みの編集機能です。さらにフロッピーディスクドライブ内蔵モデルです。』

というのはどうなのだろう、パソコンとプリンタ合わせても安ければ5〜6万円で手に入ろうかという時代に、こういう20万円もするタイプライターを買わなきゃいけない理由が、私にはよくわからない。

そしてそんな高価な、しかも電気で動くタイプライターを買うつもりは毛頭ないので、ここには用はなかった。



現役でタイプライターのメンテナンス、修理や販売を行っている会社もいくつか見つけた。横浜の「尾河商会」、東京は神田岩本町の「ひかり事務機」、大阪は南堀江に「フォーテック ビジネスマシンサービス」という会社があるようだ。

特に尾河商会さんは、

「ホームページに記載されているインクリボンの多くは純正品ですが、インクリボンは他機種のものを流用できる場合がございます。


当社独自のマトリクス表と照合して、お客様のタイプライターにあったインクリボンをお探しします。

仮に、お客様のタイプライターに適合するリボンが見つからなくても、当社までリール等をお送り頂ければ、巻き返してお送り出来る場合もございます。

と、かなりの自信と誇りを持って商売されている会社のようで、説明や記述が非常に頼もしい。ここで購入できればよかったのだが、中古在庫は切れているようだった。本体を入手してもいないが、とりあえずインクリボンを注文する時にはここに頼もうと決めた。

手動式の新品は見当たらなかった。古い物でもいいと、ヤフオクに出品されているものをざっと眺めてみたが、この市場は、ほぼ二極化された世界になっていた。

いわゆるアンティークな置物として、「飾って愛でましょう」というものと、押入れを整理していたら出てきたけど、誰も使わないし、使い方もわからないから、「必要な人はどうぞ」というタイプのものだ。

前者は、動かない、あるいは動くかもしれないが、保証はできない、インクリボンが乾いていて印字できない、というものがほとんどで、価格は2万円弱から3万5千円くらいだ。

後者は、一応動作しているが保証はできない、使い方がわからないので未チェック、ジャンク品として購入いただける方、という感じの出品が多く、価格は10円、100円から高くても5千円程度までだった。

アンティークと不用品両方からめぼしいものを「ウォッチリスト」に入れ、1週間ほど回してみることにした。

思ったほど動かない。半数以上は一件も入札がなく開催期間が終了し、また出品されるということが繰り返される。タイプライター自体のニーズが少ないのだろう。

(続く)

タイプライター物語 (1)

娘が、パソコンで英文を書いている。

生徒同士がペアになり、お互いに今までの生活の中で印象深かった出来事についてインタビューをし、それを英文でまとめる課題だと言う。

印刷したものを見せてもらって、ふと、今は宿題にコンピューターを使うのだなぁと思った。

私の時代は、すべて手書きだった。原稿用紙何枚以上何枚以内でこれこれについて書け。などという課題をやるとき、鉛筆やボールペンを使わず、太軸の万年筆で「さらさらと書く」ことに、変なプライドのようなものがあったように思う。

手書きで文章を書くというのは、かなり面倒で、しんどいことだった。プロット、下書き、清書と、何回も書いては組み替える。

私は字が下手で、下書きなどは特にキタナイ。下書きだから、他人が読めないのはまぁ、いいとして、自分でも読めないという情けないこともあった。いや、正直、今でも、急いでメモしたようなものは後から読めないことが往々にして、ある。

そんな苦労のあとで、やっと完成したと思って読み返してみると、同じことを何度も書いていたり、下書きから移す時に、ひと段落分抜け落ちてしまっていたり、意味が通らなくなっていて、最初からやり直しということもよくあった。

パソコンの黎明期からその魅力に惹かれ、20年以上もその進化とともに暮らしてきたが、パソコンの何がいいのかと聞かれたら、私は、「文字を書かなくていいこと」だと答える。

パソコンを使って文章を作っていくのは、手書きに比べると、百倍も便利だ。間違った文字は、消しゴムやホワイトを使わなくてもバックスペースで消える。文章や段落の組み換えも一瞬でできる。誤字脱字がないか、語尾表現は統一されているか、などの校正までやってくれるようになった。

こういうのが私の学生時代にあったら、私は間違いなく授業のノートをとるのにノートパソコンやPDAなどで入力していたに違いない。たぶん、そういうことが普通になる時代になってきている、いや、もうそうなっているのかもしれない。

ただ、筆記具として、ワープロやパソコンが普及していくのとともに、読むのがイヤになるような質の悪い小説や、テレビドラマのストーリーやセリフ回しの稚拙さ、新聞や雑誌などでも、もう少しうまく書けないのかという雑然とした記事などが目につくようになってきたような気がするのだ。

便利になるということは、本当に、人間にとっていいことなんだろうか。パソコンで文書を作るようになって、漢字を書けなくなった。頭にはぼやっと浮かぶが、手が憶えていないのだろう。物が憶えられなくなった。人の名前が出てこない。これはトシのせいか?

(続く)
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