(承前) 一週間後。初めてのビガマス運動。「最初は5分間、負荷3kgでやってみましょう。」
ビガマス運動をする機械は、エアロバイクのペダルを両足とも下に垂らした感じのものを想像してほしい。
サドルにまたがり、ペダルを足に固定、前にクッションを置き、上半身を前傾させてハンドルを軽く握る。エアロバイクと違うのは、この状態から、足を交互に後ろに蹴り上げる動作をすることだ。「エアロばた足」もしくは「欽ちゃん走り訓練」といった感じの運動になる。この運動を10分間行うことで、約1時間のウォーキングと同じくらいの運動量になるという。
ペダルへの負荷は先生が決めるが、同じ負荷でも前傾姿勢を深く、足を高く早く跳ね上げることで、かなり高負荷の運動になる。運動中、心拍数が高くなると年齢に比して負荷が自動的に軽くなるとのことだ。リハビリなどに使う医療機器なのだろう。よくできている。
また、この運動は足の付け根の部分だけを動かすもので、膝に負荷がかからないところもいい。ジョギングなどで膝を痛めることもあり、かと言って膝への負荷が少ない水泳などは、気軽にできるものではない。こういう体に優しい運動器具は健康器具メーカーなどがもっと取り組んでもいいのではないかと思う。
実際に乗ってみて、これで運動になるのかという感じで5分が経過した。
「どうです?軽い感じでした? でも、今のでほら、253kcal消費してますからね。次から一分ずつ増やしていきます。10分くらいになると、少し運動した気分になると思いますよ」
253kcalというと、なるほど30分ほど走ったのとほぼ同じくらいだ。しかし本当かね。
本題の手首は、前回の治療後確かによくなったが、またもとに戻ったような感じだと言うと、今回は筒状のものでなく、長い鍼でプスプスと腱の周りを刺して、「どうですか?」「まだ少し痛みます」「どうですか?」「いいようです」という感じで、治療してもらった。
「まず、痛みがとれて、それから腱が太くなってしまっているためにクキクキとする感じになっているんだと思いますが、痛みがとれた後、その感じもなくなっていきますので。」と先生は確信に満ちて言った。
「テーピングをしときましょう。」
細いテープを横に3本、縦に3本格子状に。で、対角線に2本。手首が戦時中の窓硝子のような感じになった。
「変わったテープですね。初めて見ました。」
「スパイラルテーピングといいます。これで血流をよくします。」
「テーピングで血流がよくなるんですか。へぇ。」
テーピングというのは患部を固定するものという頭しかなかったが、このスパイラルテーピングというのはそういうものではなく、鍼や灸と同じように、皮膚にテープという刺激を与えることで血流をよくし、痛みをやわらげるのだという。
う〜ん、信ずる者は救われる・・か。(先生はクリスチャンのようで、壁にキリストの肖像画がかかっていたり、日めくりのカレンダーに聖書の言葉が書いてあったりする。)ビガマス運動もまずまず気に入った。気長に通ってみることにしよう。
~ これが2007年の冬の話だ。~
その後ここには3ヶ月ほど通った。症状は少しずつ、少しずつ改善していったが、春になり、梅雨が来ても完治というところまでには至らなかった。現在でも少し違和感があり、長い時間キーボードをたたいた日などは少し痛みを感じることもある。
けれども、何よりこの腱鞘炎がきっかけで、いろんな経験をした。薬と注射満載主義の医者は、真剣に運動しようという決意を与えてくれた。次に行ったところで走ることが楽しくなった。そして、最後に通ったこの鍼灸院ではスパイラルテーピングという、自分でもいろいろと活用できそうな技術や、サンドバックの叩きかたも教えてもらったし、ビガマス運動を10分やるだけでは物足らないと言うと、これと併用して、血流を抑制して効果的に筋肉を鍛えていく「カーツトレーニング」のやりかたも教えてくれた。
そして、運動したり食生活を変えたことで、83kgあった体重が半年ほどで76kgあたりまで落ち(最近また盛り返しつつあるが・・)、体が軽く感じられるようになったことなど、得たものは大きい。 これぞ怪我の功名というものだ。(2008年11月)
(監)
2007年12月15日土曜日
2007年12月10日月曜日
鍼 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その5)
(承前) こぢんまりとした鍼灸院に、5・6人ほどが低周波治療や手足の温浴、マッサージ機などを使っている。
「ここをどうしてお知りになりました?」という質問に、「インターネットで、先生がエディスタッフだったことを知りまして、先生にぜひとも診ていただきたいと思い、」とはあまりに追従くさくて言えず、「えっと、義父が移転前に先生にお世話になってまして。」と答えた。
手首を10分間冷やす。治療用のアイスノン(商標?)は、中がパウダーになっている。凍った状態でも患部にピッタリフィットし、直接肌につけていても凍傷のようなことにはならないという。いいなこれ。
そのあと、セラミックボールや薬草、漢方薬などを漬け込んだ湯に手足をつけて温浴。以前にやったゲルマ温浴は20分だったが、ここでは5分。自分で砂時計をひっくり返して入る。手足が生薬くさい・・・。
診察台に行く。まず、首肩腰に鍼をうってもらった。鍼をはじくようにしているのだろうか、ボンボンという感じで打っていく。
「どうですか? 楽になりましたか?」と先生が聞く。
前のところでは、力いっぱい揉んでもらってかなり気持ちがよかったので、そんなさわったかさわらないか、蚊が刺したほどにも感じないようなモンで、ポンポンしただけでアレッ?
「あ、楽になってますね。」
「じゃ手首も見ましょう。」ポンポン、ポン「はい、動かしてみてください。」
いやいや先生、そんな簡単に言うけど、これ、親指動かすと腱がグキッと裏返ったような感じになって、その瞬間も痛いし、裏返っている間もずっと、かなり痛くて、もとに戻すときも最初と同じくらい痛いんですよね。
そんなことなんで、あんまり動かしたくないんだけど、先生がそういうなら・・・アレっ? 腱がこすれる感じはそのままだけど、痛みは・・ないことはないけど・・・。
「あ、なんとなく薄れた感じがします。」
「じゃ今日はこれで」
すごいな鍼というのは。こんなに即効性があるものなんだ。
治療はこんな感じで終わったが、ここに来るときに気になっていたのが、「ビガマス運動」というものだった。
「これをやらせてもらえませんか?」と聞くと、「今、治療したとこなので、しばらく安静にしておいたほうがいいです。セッティングもあるので次回から、治療前にしましょう」とのことだった。少し残念だが、次の予約をして帰ることにした。
(続く)
「ここをどうしてお知りになりました?」という質問に、「インターネットで、先生がエディスタッフだったことを知りまして、先生にぜひとも診ていただきたいと思い、」とはあまりに追従くさくて言えず、「えっと、義父が移転前に先生にお世話になってまして。」と答えた。
手首を10分間冷やす。治療用のアイスノン(商標?)は、中がパウダーになっている。凍った状態でも患部にピッタリフィットし、直接肌につけていても凍傷のようなことにはならないという。いいなこれ。
そのあと、セラミックボールや薬草、漢方薬などを漬け込んだ湯に手足をつけて温浴。以前にやったゲルマ温浴は20分だったが、ここでは5分。自分で砂時計をひっくり返して入る。手足が生薬くさい・・・。
診察台に行く。まず、首肩腰に鍼をうってもらった。鍼をはじくようにしているのだろうか、ボンボンという感じで打っていく。
「どうですか? 楽になりましたか?」と先生が聞く。
前のところでは、力いっぱい揉んでもらってかなり気持ちがよかったので、そんなさわったかさわらないか、蚊が刺したほどにも感じないようなモンで、ポンポンしただけでアレッ?
「あ、楽になってますね。」
「じゃ手首も見ましょう。」ポンポン、ポン「はい、動かしてみてください。」
いやいや先生、そんな簡単に言うけど、これ、親指動かすと腱がグキッと裏返ったような感じになって、その瞬間も痛いし、裏返っている間もずっと、かなり痛くて、もとに戻すときも最初と同じくらい痛いんですよね。
そんなことなんで、あんまり動かしたくないんだけど、先生がそういうなら・・・アレっ? 腱がこすれる感じはそのままだけど、痛みは・・ないことはないけど・・・。
「あ、なんとなく薄れた感じがします。」
「じゃ今日はこれで」
すごいな鍼というのは。こんなに即効性があるものなんだ。
治療はこんな感じで終わったが、ここに来るときに気になっていたのが、「ビガマス運動」というものだった。
「これをやらせてもらえませんか?」と聞くと、「今、治療したとこなので、しばらく安静にしておいたほうがいいです。セッティングもあるので次回から、治療前にしましょう」とのことだった。少し残念だが、次の予約をして帰ることにした。
(続く)
エディ・タウンゼントスタッフ 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その4)
(承前)12月も中旬に入っていた。手首の痛みも4ヶ月を過ぎると、痛いのが当たり前のように思えてきていた。
西洋医学だと、きっとまた薬と注射で治そうということになるだろう。腱鞘炎自体は、まだ原因のよくわかっていない病のようで、内科的な原因でないのなら、対症療法中心の西洋医学よりも、体の治癒能力を向上させ、根本的なところから治していこうとする東洋医学のほうが、時間はかかるかもしれないがよいだろうと思った。
とすると、やはり選択は整形外科ではなく、整骨院ということになる。先月通ったのは柔道整復系の整骨院で、全身のマッサージは気持ちがよく、ゲルマ温浴も気に入っていたのだが、治療してくれる人が毎回変わることと、肝心の手首の状態が改善しなかったのが不満だった。今度は鍼にしてみよう。そして、できれば先生は一人だけのところがいいとインターネットを探った。
整骨院というのは近所でもかなりの数がある。普段あまり気に留めていなかったが、過当競争になっているのではないか思うくらいに多い。駅前だけでも、歩いて5分くらいの範囲に7箇所ほどの整骨院がある。それだけ需要が多いということだろうか。
ネットに積極的なところは、ショップを開いて各種サポーターや専門的な機器まで販売しているところもあるが、ほとんどの整骨院は、地域情報ポータルなどに、住所と電話の表記があるだけで、電話帳と変わらない。ホームページを開設しているところもチラホラとはあるが、設備や診療内容、受診料などもよくわからず、ポータルにクチコミ掲示板が用意されていても書き込みなどはなく、とりあえず行って受けてみないとわからない感じだった。
そんな中、ふとエディ・タウンゼントというなつかしい名前が目に入った。鍼灸整骨とエディさんにどういう関係があるんだろうと、そこのホームページをのぞいてみると、エディ・タウンゼントボクシングジムのメディカルスタッフだったという人が、うちから歩いて10分のところで鍼灸院を開いていたのだった。
ボクシングの名トレーナー、チャンピオン製造機と言われたエディさんの名をご存知だろうか。ボクシングは選手がやるもので、セコンドやコーチが話題に上ることはあまりない。でも、エディ・タウンゼントというトレーナーの名は、私のボクシングに関する記憶の中に、強烈な印象で残っている。
ボクシングが好きで、よく見ていた。特に重量級が好きだった。
モハメド・アリ、ジョー・フレージャー、ケン・ノートン、そうそう、ラリー・ホームズなんてのも好きだったなぁ。
どの試合も印象深かったが、日本で秒殺ショーを見せたチャンピオンのフォアマンが、引退がささやかれていたモハメッド・アリと対戦した試合は、どんな言葉でも言い尽くせないほどすごい試合だった。
フォアマンがロープにもたれたアリのボディを、背骨も砕けよと叩く。しかしアリはその殺人的なパンチをかわし、当たっても倒れず、どころか、お前のパンチなど全く効かないという顔をし、叩き疲れ、腕が動かなくなったフォアマンにアリが猛攻、フォアマンを倒してチャンピオンに返り咲いた。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われたアリが、イモムシかさなぎのようにちぢこまり、羽化し、舞い、刺した試合だった。
あぁ、懐かしいなぁ。マービン・ハグラーは、テカテカと光った頭を振ってパンチをくり出す姿が、タイガーマスクに出てきた頭に鉄球を仕込んだレスラーと妙にかぶったものだった。ハグラーと死闘を演じた石のこぶしロベルト・デュラン、そのデュランをたった2回で葬り去ったトーマス・ハーンズも大好きなボクサーだった。
日本のボクシングも、この頃が絶頂期だったように思う。ガッツ石松、赤井英和、ジャッカル丸山など、後ろには引かない、前進あるのみ。どつかれたらどつき返す、倒されたら倒し返す、最後に立っているのは俺だというような試合は、体が震えるほどに好きだった。そして、これらの魅力的な日本人ボクサーのほとんどが、エディ・タウンゼントのコーチを受けていた。セコンドで厳しくそしてやさしい顔をしたエディさんの顔も、数々のすごい試合とともに、記憶に残っている。
ボクシング自体は、辰吉あたりまでは試合を楽しみにして欠かさず見ていたが、今はたまにwowowでフロイド・メイウェザーを見るくらいになってしまった。エディさんが亡くなられて後の日本には、魅力的なボクサーがいなくなってしまった。
エディさんの略歴やエピソードがウィキペディアに載っている。少し引用させていただく。
そのエディさんのメディカルスタッフが、こんな近所で鍼灸院を開いていたことを知り、妻に、「俺は誰がなんと言おうとも絶対にここへ行くことに決めたのだ」と、少し興奮しながら話した。
妻は、「別に誰も何も言わないから勝手に行ったらいいけど、ここっておじいちゃん(義父。うちの近所に引っ越してきている)が昔、膝が痛いって言ってたときに通ってたとこやね。前はもっと近所にあったのが移転してちょっと遠くなったんで、行かんようになったけど。結構混んでるらしいよ。」と、こともなげに詳しい・・・。
「ま、前はもっと近くにあったの・・ね。あ、そう。インターネットで偶然、ようやく、やっと見つけたのに、おじいちゃんが『昔』に『ずっと』通ってたのね。む〜ん・・。」
なんとインターネットの世界は広く、世間は狭いものか。
(続く)
西洋医学だと、きっとまた薬と注射で治そうということになるだろう。腱鞘炎自体は、まだ原因のよくわかっていない病のようで、内科的な原因でないのなら、対症療法中心の西洋医学よりも、体の治癒能力を向上させ、根本的なところから治していこうとする東洋医学のほうが、時間はかかるかもしれないがよいだろうと思った。
とすると、やはり選択は整形外科ではなく、整骨院ということになる。先月通ったのは柔道整復系の整骨院で、全身のマッサージは気持ちがよく、ゲルマ温浴も気に入っていたのだが、治療してくれる人が毎回変わることと、肝心の手首の状態が改善しなかったのが不満だった。今度は鍼にしてみよう。そして、できれば先生は一人だけのところがいいとインターネットを探った。
整骨院というのは近所でもかなりの数がある。普段あまり気に留めていなかったが、過当競争になっているのではないか思うくらいに多い。駅前だけでも、歩いて5分くらいの範囲に7箇所ほどの整骨院がある。それだけ需要が多いということだろうか。
ネットに積極的なところは、ショップを開いて各種サポーターや専門的な機器まで販売しているところもあるが、ほとんどの整骨院は、地域情報ポータルなどに、住所と電話の表記があるだけで、電話帳と変わらない。ホームページを開設しているところもチラホラとはあるが、設備や診療内容、受診料などもよくわからず、ポータルにクチコミ掲示板が用意されていても書き込みなどはなく、とりあえず行って受けてみないとわからない感じだった。
そんな中、ふとエディ・タウンゼントというなつかしい名前が目に入った。鍼灸整骨とエディさんにどういう関係があるんだろうと、そこのホームページをのぞいてみると、エディ・タウンゼントボクシングジムのメディカルスタッフだったという人が、うちから歩いて10分のところで鍼灸院を開いていたのだった。
ボクシングの名トレーナー、チャンピオン製造機と言われたエディさんの名をご存知だろうか。ボクシングは選手がやるもので、セコンドやコーチが話題に上ることはあまりない。でも、エディ・タウンゼントというトレーナーの名は、私のボクシングに関する記憶の中に、強烈な印象で残っている。
ボクシングが好きで、よく見ていた。特に重量級が好きだった。
モハメド・アリ、ジョー・フレージャー、ケン・ノートン、そうそう、ラリー・ホームズなんてのも好きだったなぁ。
どの試合も印象深かったが、日本で秒殺ショーを見せたチャンピオンのフォアマンが、引退がささやかれていたモハメッド・アリと対戦した試合は、どんな言葉でも言い尽くせないほどすごい試合だった。
フォアマンがロープにもたれたアリのボディを、背骨も砕けよと叩く。しかしアリはその殺人的なパンチをかわし、当たっても倒れず、どころか、お前のパンチなど全く効かないという顔をし、叩き疲れ、腕が動かなくなったフォアマンにアリが猛攻、フォアマンを倒してチャンピオンに返り咲いた。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われたアリが、イモムシかさなぎのようにちぢこまり、羽化し、舞い、刺した試合だった。
あぁ、懐かしいなぁ。マービン・ハグラーは、テカテカと光った頭を振ってパンチをくり出す姿が、タイガーマスクに出てきた頭に鉄球を仕込んだレスラーと妙にかぶったものだった。ハグラーと死闘を演じた石のこぶしロベルト・デュラン、そのデュランをたった2回で葬り去ったトーマス・ハーンズも大好きなボクサーだった。
日本のボクシングも、この頃が絶頂期だったように思う。ガッツ石松、赤井英和、ジャッカル丸山など、後ろには引かない、前進あるのみ。どつかれたらどつき返す、倒されたら倒し返す、最後に立っているのは俺だというような試合は、体が震えるほどに好きだった。そして、これらの魅力的な日本人ボクサーのほとんどが、エディ・タウンゼントのコーチを受けていた。セコンドで厳しくそしてやさしい顔をしたエディさんの顔も、数々のすごい試合とともに、記憶に残っている。
ボクシング自体は、辰吉あたりまでは試合を楽しみにして欠かさず見ていたが、今はたまにwowowでフロイド・メイウェザーを見るくらいになってしまった。エディさんが亡くなられて後の日本には、魅力的なボクサーがいなくなってしまった。
エディさんの略歴やエピソードがウィキペディアに載っている。少し引用させていただく。
(前略)六人の世界チャンピオンと赤井英和・カシアス内藤らの名ボクサーを育て上げた実績のみならず、人間性や指導方法も高く評価され「名トレーナー」として日本のボクシング関係者・ボクシングファンから尊敬される様になった。 高齢となったエディが、一から育て上げ最後の弟子と言われた井岡弘樹は、とりわけ愛情を注いだボクサーの一人である。井岡のことを「ボーイ」(Boy)と呼び、ジムの二階で寝食を共にして実の息子のように可愛がった。 1987年10月18日に行われたWBC世界ミニマム級王座決定戦で、井岡を世界チャンピオンへと導いたが、この頃は既にエディの体は「直腸がん」の病魔に蝕まれており車椅子で生活しながら指導するようになる。1988年1月31日の初防衛戦では、どうしても井岡の試合を見守りたいと切望し、入院中の病院からベッドに横わった状態で試合会場入りしたが、試合開始直前に意識不明の危篤状態に陥り田中外科(現・渡辺外科病院)へと引き返した。井岡が挑戦者を12回TKOで退けた知らせを病院で聞くと、右手でVサインをかかげた後に静かに息を引き取った。 その劇的な人生は「EDDIE」の名で演劇化され、各地の学校で上演されている。 |
そのエディさんのメディカルスタッフが、こんな近所で鍼灸院を開いていたことを知り、妻に、「俺は誰がなんと言おうとも絶対にここへ行くことに決めたのだ」と、少し興奮しながら話した。
妻は、「別に誰も何も言わないから勝手に行ったらいいけど、ここっておじいちゃん(義父。うちの近所に引っ越してきている)が昔、膝が痛いって言ってたときに通ってたとこやね。前はもっと近所にあったのが移転してちょっと遠くなったんで、行かんようになったけど。結構混んでるらしいよ。」と、こともなげに詳しい・・・。
「ま、前はもっと近くにあったの・・ね。あ、そう。インターネットで偶然、ようやく、やっと見つけたのに、おじいちゃんが『昔』に『ずっと』通ってたのね。む〜ん・・。」
なんとインターネットの世界は広く、世間は狭いものか。
(続く)
2007年12月5日水曜日
人間ドック 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その3)
(承前) 12月5日。昔一度行ったきり、ずっとさぼっていた人間ドックに行った。今年から発足した衛生委員会などのからみで、私自身が健康診断や人間ドックの未受診者ゼロを部署内に徹底しないといけない立場となり、やむなく、申し込んでいた。
もともと医者ぎらいなのに加え、前日から食事も水もダメだと言われ、朝のくそ忙しいときに検尿や検便などの準備をし、行けば行ったでかなりの血をとられたり、ぬるぬるした冷たいモノで腹をなでまわされたり、バリウムと発泡剤を飲んだ気持ちの悪い状態で、あっちを向けこっちを向け、回転しろとひっきりなしに体の向きを変えさせられるなどに辟易した。そんな不愉快な思いをするために、わざわざ申し込み予約をしなければならないなどは言語道断だ。
10月に行っていた医者の検査をさぼったのは、運動などでの改善意思を聞かずに大量の薬を出した医者への憤りもあったが、2ヶ月経たないうちにこの人間ドックを受けることが決まっていたからということもあった。薬の山を眺めつつ、人間ドックまでに思いっきり運動し、食生活も見直して、絶対に正常範囲に戻してやるのだと心に誓ったのだった。
数日後、検査結果が郵送されてきた。すべて正常範囲内だった。
(続く)
もともと医者ぎらいなのに加え、前日から食事も水もダメだと言われ、朝のくそ忙しいときに検尿や検便などの準備をし、行けば行ったでかなりの血をとられたり、ぬるぬるした冷たいモノで腹をなでまわされたり、バリウムと発泡剤を飲んだ気持ちの悪い状態で、あっちを向けこっちを向け、回転しろとひっきりなしに体の向きを変えさせられるなどに辟易した。そんな不愉快な思いをするために、わざわざ申し込み予約をしなければならないなどは言語道断だ。
10月に行っていた医者の検査をさぼったのは、運動などでの改善意思を聞かずに大量の薬を出した医者への憤りもあったが、2ヶ月経たないうちにこの人間ドックを受けることが決まっていたからということもあった。薬の山を眺めつつ、人間ドックまでに思いっきり運動し、食生活も見直して、絶対に正常範囲に戻してやるのだと心に誓ったのだった。
数日後、検査結果が郵送されてきた。すべて正常範囲内だった。
(続く)
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