(承前)その人は、教会の牧師さんだった。ちえは無宗教な人間だが、ゴスペルを習うためにここに数年来通っており、この牧師さんにも本を贈呈していた。
この牧師さんの実家が呉にあり、当時を知るお母様が八十何歳かでご健在だという。本の中に出てくる海軍工廠の寮のあった場所(終戦直後の枕崎台風でほぼ全壊。母の十歳くらいの記憶で、どのあたりかもわからない)近くに現在もお住まいで、もう昔の建物などは全くないが、だいたいの場所もわかるので、もし機会があれば呉に行って話を聞いてみたらどうかというのだ。
その話を聞いた私は、またやさしい心で「じゃあ連れて行ってやるよ」と言ってしまったのだった。
ちょうど会社の勤続の表彰で5日間の休みと旅行券をもらっており、どこかへは出かけるつもりだった。妻は車の旅は嫌いだし、子供も親との旅はしたがらず、それ以前に学校やクラブなどでスケジュールが合わないので、一人で目的なしにどこかへ出かけるつもりでいたのだ。
その頃、ニュースやCMで「男たちの大和」の映画の試写会の様子や実物大のセット公開、「ヤマトミュージアム」なども幾度となく紹介されていて、行き先としては悪くなかった。また、ちえの本が完成した締めくくりとして、ちえや家族たちが体験した空襲や原爆、台風など、ほんの一歩間違えば命を落としていたような数々の体験、祖父が働いた海軍工廠のあった場所をたどる旅というのは悪くない思いつきだ。
ちえとちえの二人の妹、そして私の四人で、広島周辺の観光も兼ねて、11月の上旬に、宮島、呉、尾道を車で回る三泊四日の行程を組んだ。ちえの妹は、次女が昭和19年生まれ、三女は戦後に祖父が再婚してから昭和28年に生まれているので、呉の暮らしや、戦争の記憶は当然ながら全くないのだが、自分達家族の暮らしたところをぜひ知りたいということで、一緒に行くことになった。
この三人との旅は大変だった。大変さをあまり詳しく書いてもしょうがないのだが、まず、「うるさい」。自分たちで盛り上がっている分にはまだいいのだが、彼女らにとって私はいつまでたっても息子であり甥なので、何かというと矛先が命令形でこちらに向いてくる。曰く、「スピード出しすぎ」「野菜も食べなさい」「休肝日を作りなさい」。
2つめに「遅い」。あらかじめ決めておいた出発時間は一度として守られることはなかった。それを見越してできるだけ過密にならないようにゆるやかなスケジュールを組んだつもりだったのだが、その遅さは私の予想をはるかに上回っていた。ひとつひとつの準備や移動に時間がかかる。集合できない。すぐ座る。座ると動かない。結局予定を大幅に削らなければならなかった。
そして、3つめには、「段取りが悪い」。というより段取りというものをする気が全くない。これは、私ももう少し気を回してやればよかったと思ったのだが、彼女には「事前アポ」という考え方は全くないのだった。
今回の旅でお話を聞く予定だった牧師さんのお母様というのが、9月の時点からずっと我々を待っていてくれていたらしく、待ちすぎで体調を崩したとのことで面会できない(いつごろ行くとも連絡してなかった)ことになってしまっていた。そして、もう一人の息子さんが呉の教会にいるとのことで挨拶に行ったのだが、教会は閉まっていて会えなかった。(ちえはせっせとお土産の用意だけはしていたが、これも事前に連絡していなかった)。献本した呉の図書館の地史研究員さんが、昔の地図などを見せてくれるとのことだったので訪ねたら、いなかった。(これも事前連絡していなかった。他の方に対応いただいて、だいたいのところはわかったからいいようなものの・・・)
牧師さんのお母様には申し訳ないことをしたが、ただ、この「ノーアポ」に関しては、なんとなく気持ちがわからないこともないのだ。というのは、ビジネスではアポは常識だが、事前に連絡して、待っていてもらったり、何かを用意させたり、気を使わせたりするのが申し訳ないという気持ちを、仕事以外でそう親しくない人を訪ねるときに私も感じることがある。
自分が訪ねていくことについて、相手には何の準備もしてもらわなくていい。突然に伺って会えればよし、忙しそうなら挨拶だけ、会えずとも自分が訪ねたという事実に自分で納得ができればよい。というふうに、人に気を使わせたり待たせたりを強要しない、日本古来の考え方というか、「奥ゆかしさ」なのかもしれないと感じた。
ただ、その奥ゆかしさは、他人には示すが息子に示されることは一切ない。この、現代ニッポンの常識や、ビジネス社会とかけはなれた次元で暮らす七十歳、六十一歳、五十二歳の三人姉妹の相手は、想像を絶するものだったのだ。
(続く)