
(承前)ちえの妹二人が二泊だけして電車で帰るかもしれないと聞いていたので、三日目の宿を手配していなかった。結局帰らないということになったので、兵学校から尾道まで車を走らせてきたのだが、途中渋滞もあり、尾道の駅あたりに到着したのは、午後7時を過ぎていた。駅前に宿の斡旋所があるだろうと思ったのだが、もう閉まっており、駅員に聞いても、「そこのパンフレットを順番に電話するしか・・・」と頼りない。
仕方がないのでいくつかのホテルに電話をかけたが、四人を受け入れてくれるところはなかった。直接何軒かまわって交渉してみても、ないものはないのだった。あきらめて次の町まで走ってみようかと考えたが、駅に来るまでの道沿いに一軒、小さな宿があったのを思い出し、念のためそこへ行ってみようということになった。空いていた。古く汚い部屋だったが(失礼)、まぁ、贅沢は言えない。
駅近くの居酒屋で食事をした。海のものが中心で素朴な料理だが、魚も貝もことごとく、うまい。アサリの酒蒸しは、思わずおかわりを頼み、汁も酒の肴にして残さず飲み干してしまった。次の日に食べた尾道ラーメンもかなりのレベルでおいしく、情緒豊かでノスタルジックなこの町が大好きになった。

セットの見学が終わると、映画で使用された巨大な飯炊き釜や、街の景観を当時のように見せる看板、ポストなどのある展示室、メイキング映像が流されている部屋があり、ここで迫力のある戦闘シーンや、NGなども楽しめた。スタッフや俳優が利用した食堂もそのまま営業されていた。
今年の5月に、この映画がDVD化されるにあたっての販売店用サンプルを、担当が「見たい?」と持ってきてくれたので、一年ごしで初めて全編を見ることができたのだが、セットを叩いたときのベコボコ感が思い出され、壁に物が当たるとボコンと穴が開かないか、ハシゴをそんな乱暴に上がっていって、壁からベリベリとはがれないかと余計な心配をしてしまった。そうだ、そう言えばサンプル見たらレビューを書けと言われてた・・・ちょっと書いてみよう。
この「男たちの大和」という映画を、戦艦大和についてある程度の知識を持っている人が観ると、多くの史実を扱った作品と同様に、ここは違う、あそこはこうだという不満が出てくるかもしれない。しかし、この映画はそういう世代に向けて作られたものではなく、神尾を自分に重ねられる十七、八歳から二十歳前後の人たちへのメッセージ的作品であるように思う。 戦後の教育は、「あの戦争は間違いだった」というもので統一された。「戦争そのものを起こしてはならない」。当然だ。それを否定する気は全くない。しかし、かつて、日本は戦争をしており、その状況の中で、多くの若者が、家族や国を守るために、命を賭して戦ったのだということはまぎれもない事実で、それを否定する権利は誰にもない。国家レベルで間違いだと結論づけても、国民や兵隊達の当時の気持ちは今でも十分理解できる。家族に危害が及ぼされそうになれば、誰だってそれを止めようと立ち上がるだろう。 作品では、神尾達のような二十歳に満たない少年といってもいい若者達が、先輩にしごかれたり教えられたりしながら、大和という世界一大きく美しい戦艦の搭乗員であることを、いかに誇りに思っていたか、特攻の命令を受け、国や家族を守るという使命感に満ちて死を覚悟してゆく気持ちや、特攻、戦争そのものに対する疑問や恐怖も、神尾や仲間達を通して理解できるものになっている。そして、作品全体を通したメッセージは、反戦でも戦争賛美でもなく、誇り高く潔く戦った男たちの生き様だ。 戦後も61年。戦争を体験した世代が高齢層に入っており、いくら世界一の長寿国になったとは言え、あの戦争を実体験として伝えていける世代は年々少なくなってきている。この映画にもそういう記憶を残そうという記録映画のような手法が見受けられなくはないのだが、かつての日本に世界最大の美しい戦艦があり、そこで戦い続けた男達がいたのだということを知っておいて損はない。 |
(続く)