2010年6月24日木曜日

「ガリッ」って言ってチェーンがはずれちゃった。

チャリです。今日は2010年6月24日。ひさしぶりに通勤。でも100mほど走ったところで「ガリッ!」って音がして、チェーンがはずれちゃった。

気温が上がったのと長い間調整してないから、チェーンの張りがゆるくなってたんだね。

カントクは、後輪にチェーンをかけて何回かペダルを押したり回したりしていたんだけど、チェーンが調節ネジの下に噛み込んでしまっていて、そう、ガリッていうのはここに噛み込んだ音だったんだね。どうも手では直せないようだ。カントクの手はチェーンについたオイルで真っ黒になってしまった。

近くにガソリンスタンドが見えたので、そこに入って、工具を貸してもらえないかと頼んだ。

若いスタッフが、レンチを持ってきてくれ、ネジをはずしてくれた。チェーンをかけ、手を洗わせてもらうと、そのスタッフ君がネジをもとに戻してくれている。

「一応締めときましたけど、これくらいでいいんですか?」なんて聞いてくれる。いい人だ。

カントクはレンチを受け取って、チェーンの張りを見ながらぐいぐいと締めていく。

「へぇ、このネジでチェーンの張りを調節するんですね。」とスタッフ。

そうか、こういう修理、やったことない人多いんだろうなぁ。

「そう、ここは自転車の中でも一番不思議な部品のひとつで、」と、カントクは言う。ネジを締めていくことで車軸を後に引っ張ってチェーンの張りを調節する。ネジの名前は知らないが、これを考え出した人は天才だ。

「本当は車軸を固定しているネジを緩めて車輪のバランスを見ながらやるんだが、時間がないので少々乱暴に締めた」って・・・。あとで見なおしてね・・。

礼を言って会社に急いだけど、結局修理に10分くらいかかったのかな。会社には2分くらい遅れちゃった。ゴメンね。

今日は2010年6月24日 カントクと出会ってから1年と326日。初めての故障・・・。

2010年6月19日土曜日

道頓堀における英語力強化および中国経済成長について

友人との待ち合わせにまだ少し時間があったので、ひさしぶりに心斎橋で地下鉄を降り、難波まで歩いた。

午後七時前という時間帯のせいかもしれないが、かなりの人が行き来している。昨年、心斎橋そごうの閉店前のこの通りには、こういう活気はなかった。

そして、道を歩いていてかなりの頻度で聞こえてくる中国語。特に交差点で立ち止まると、中国語で電話や立ち話をしている人たちが目立つ。

2010-06-17 道頓堀北側 活気が戻ってきた感じがする。中国語多く聞こゆ。白人学生風数組、5分無料英会話の紙を胸の前に掲げる。なんじゃこりゃ
2010-06-17 道頓堀北側 活気が戻ってきた感じがする。中国語多く聞こゆ。白人学生風数組、5分無料英会話の紙を胸の前に掲げる。なんじゃこりゃ posted by (C)カントク


道頓堀橋、通称ひっかけ橋。男数人が橋の欄干にもたれ、通る女の子を品定めしたり、声をかける風景、夜には黒服のホスト風も見られたが、今日はそういう感じはなかった。草食系全盛の現代では、もうそういう若者は死滅してしまったのかもしれない。

大柄な白人の男が「マンガムリョーデスイカガデスカ?」と小冊子を配布している。橋の真ん中あたりで色紙を並べた若い男「あなたを見て、インスピレーションで言葉を書きます。お代は1円からお気持ちで。」

留学生風の女の子二人組、胸の前に『五分間英会話無料』と書いたA4サイズの紙を持ち「無料英会話イカガデスカ?」。同じ紙を持ったペアが、橋の上に二組、交番前に一組、はり重の前にも一組。これは新手の商売か。それとも英語を喋れない日本人のための慈善活動か。

道頓堀もずいぶんと国際的になったようだ。しかし、ガイジンが熱心に街行く日本人たちに声を掛ける風景というのは、東京でもあまり見ないように思う。大阪独特というわけではないだろうが。

もう少し時間があるので千日前のビックカメラに入った。ここも中国語が飛び交っている。特にカメラや時計の売り場に多いようだ。中国の経済成長はめざましいというけれど、心斎橋を歩いてそれを実感するとは思わなかった。

2010年6月13日日曜日

噺のお墓に参ってきたよ

チャリです。今日は2010年6月13日。

駅で言うと、銀座線の田原町。国際通りと浅草通りの交わる交差点から南西に少しだけ歩くと、壁が一面こういう感じに赤い文字が書かれている塀が見つかる。ここが本法寺。


2010-06-13 TV局、ラジオ局、鈴本演芸場、落語協会、末広亭、立花演芸場、金馬、金語楼などの名前が見える。浅草本法寺
2010-06-13 TV局、ラジオ局、鈴本演芸場、落語協会、末広亭、立花演芸場、金馬、金語楼などの名前が見える。浅草本法寺 posted by (C)カントク



2010-06-13 古今亭志ん生、三遊亭圓生、山椒は小粒でヒリリと辛いというのを芸名にしてしまったという三笑亭可楽の名前も見える。浅草本法寺
2010-06-13 古今亭志ん生、三遊亭圓生、山椒は小粒でヒリリと辛いというのを芸名にしてしまったという三笑亭可楽の名前も見える。浅草本法寺 posted by (C)カントク


壁には、放送局、寄席、落語家の名前が彫り込まれている。

2010-06-13 はなし塚 戦時中に禁じられた落語53話を葬った落語の墓。浅草 本法寺 -15.39.40
2010-06-13 はなし塚 戦時中に禁じられた落語53話を葬った落語の墓。浅草 本法寺 -15.39.40 posted by (C)カントク


境内は狭く、見て回るようなものは全くないんだけれど、ここの「はなし塚」っていうのはあまりに有名だ。

戦時中、言論、新聞、書籍は言うに及ばず、芸術活動や落語や演芸も、ある意味規制や弾圧を受けた。

「ニッポンコクミンが一丸となってお国のために働かなければならん時に、人を笑わせたり、特に人心を乱す女郎屋の話などをすることはまかりなら~ん!」 ということで、そういう話53話が「禁演落語」とされた。

それはそういう時代だったんだから、これが間違ってるとか正しいとかって話じゃないんだけど、「それなら墓作って葬っちまおうじゃねぇか」という発想が、もし洒落から出たんだったらすごいなと思うよね。

【はなし塚に葬られた落語】
明烏、粟餅、磯の鮑、居残り左平次、氏子中、お茶汲みお見立て、おはらい親子茶屋、紙入れ、蛙茶番、葛籠の間男、首っ丈、郭大学、後生鰻、五人廻し、駒長、子別れ、権助提灯、三助の遊び、三人片輪、三人息子、三枚起請、品川心中、城木屋、疝気の虫、高尾、辰巳の辻占、付き馬、突き落とし、搗屋無間、つるつる、とんちき、二階ぞめき、錦の袈裟、にせ金、白銅の女郎買い、引っ越しの夢、一つ穴、ひねりや、不動坊、文違い、坊主の遊び、包丁、星野屋、万歳の遊び、木乃伊取り、宮戸川、目薬、山崎屋、よかちょろ、悋気の独楽、六尺棒(以上53話)

今日は2010年6月13日 カントクと出会ってから 1年と315日。

2010年6月8日火曜日

浅草鳥越は6月から始まるんだね(3/3)

神社からおかず横丁まで、ぐるりと回ってきてから、もう一度境内へ入ると、神事か狂言かがクライマックスを迎えているようだ。物語はよくわからないが、悪者退治をしている感じだ。




2010.06.06 【動画】鳥越祭 神社内神事?M4V02125 posted by (C)カントク


もう帰ろうかと外にでると、道路の向こう側に神輿を見つけた。



2010.06.06 【動画】鳥越祭 鳥越神社前から posted by (C)カントク


道路を渡って神輿を待っていると、先導の囃子車が止まった。神輿はゆっくり近づいてきている。



2010.06.06 【動画】鳥越祭 囃子 M4V02127 posted by (C)カントク


担ぎ手を変え、しばし休憩を入れる。やけに大きな拍子木で三三七拍子を入れ、再開。



2010.06.06 【動画】鳥越祭 三三七拍子から再開 M4V02129 posted by (C)カントク


だ、大丈夫か?じいさん・・・というような人から若い女の子まで、楽しそうに担いでいる。



2010.06.06 【動画】鳥越祭 M4V02136 posted by (C)カントク


鳥越祭の神輿は三社祭のものより、たぶんふた周りくらい大きく重い感じがして、三社祭の「粋」や「いなせ」な感じというよりは、迫力がある。金の飾りが揺れて光り、キャラキャラシャラと鳴るのもいい。



2010.06.06 【動画】鳥越祭 M4V02137 posted by (C)カントク


こっちの神輿は、さっきのものよりも古いようだ。担ぎ手も周りの人たちも実に楽しそうだ。



2010.06.06 【動画】鳥越祭 元気でよろしい。M4V02140 posted by (C)カントク


あぁ、おもしろかった。そうそう、表題の「浅草鳥越は6月から始まるんだね」は、ここのカレンダーの話。鳥越のカレンダーは、6月から始まって5月で終わる。しかも中は祭りの写真一色。この祭りこそが鳥越の一年の始まりなんだねぇ。

今日は2010年6月6日 カントクと出会ってから1年と308日。

2010年6月6日日曜日

浅草鳥越は6月から始まるんだね(2/3)

チャリです。今日は2010年6月6日。カントクは鳥越祭の笛や太鼓の音で目が覚めた。

昼からぶらっと鳥越まで行ってみることにした。ボクの足なら鳥越神社まで10分もかからない。

ところどころに祭りの法被を着た人たちや、関係者の休憩所みたいなところはあるけど、神輿は見あたらない。神社前でボクは待機。あとはカントクにおまかせ。

神社に入ると、五、六十人くらいが参拝のために並び、もう五、六十人がお札やお守りを買ったり、立ち話をしていたりで狭い境内はほぼ満員になっている。

神楽が始まった、と思ったが、祭囃子?のようだ。



2010.06.06 【動画】鳥越祭 鳥越神社境内 
神楽っぽい格好だが祭囃子?民謡? M4V02115
posted by (C)カントク

2010.06.06 鳥越祭 鳥越神社境内 大きな金の獅子頭DSC02114
2010.06.06 鳥越祭 鳥越神社境内 大きな金の獅子頭DSC02114
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2010.06.06 鳥越祭 神社横路地に露天が並ぶ。DSC02117
2010.06.06 鳥越祭 神社横路地に露天が並ぶ。DSC02117
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ここは通勤の帰りによく横を通るが、普段はほとんど人がいない。

境内を出て、屋台の並ぶ路地からおかず横丁へ向かう。おかず横丁入り口に古い看板建築の酒屋があり、おかみが軒先でビールを注いでいる。


境内を出て、屋台の並ぶ路地からおかず横丁へ向かう。おかず横丁入り口に古い看板建築の酒屋があり、おかみが軒先でビールを注いでいる。
2010.06.06 鳥越祭 おかず横丁入口の酒屋。 銅板建築で看板も古い。生ビール300円かぁ・・DSC02118
2010.06.06 鳥越祭 おかず横丁入口の酒屋。 銅板建築で看板も古い。
生ビール300円かぁ・・DSC02118 posted by (C)カントク



おかず横丁をぶらぶら歩く。河岸問屋の札が並ぶ魚屋の店先に床几が置かれ、
年配の夫婦が刺身で一杯やっている。いいなぁ。

古い味噌屋で「希少品 味噌たまり」というがあったので買ってみる。店主はシベリアに抑留され、
味噌汁が飲みたいと毎日のように言っていた戦友のために帰国後味噌屋を開いたという。

おかず横丁を端まで歩いて引き返す。酒屋で生ビールを一杯300円、屋台でフランクフルト100円。


2010.06.06 鳥越祭 ビールとフランクフルト持ってぶらぶら歩く DSC02119
2010.06.06 鳥越祭 ビールとフランクフルト持ってぶらぶら歩く DSC02119
posted by (C)カントク


屋台を眺めながらぶらぶらと歩く。神戸牛串焼の店では、気持ちの悪い関東風関西弁で「神戸牛どや、サービスしとくでぇ」、鶏ステーキ、鮎の塩焼き、ラーメンバーガー・・・、
きゅうり一本漬けはおいしそうだけれど、もう腹が・・。


2010.06.06 鳥越祭 きゅうり漬け。簾に水を流している。一本200円。おいしいかなぁ・・DSC02121
2010.06.06 鳥越祭 きゅうり漬け。簾に水を流している。一本200円。
おいしいかなぁ・・DSC02121 posted by (C)カントク

2010.06.06 鳥越祭 トルネードポテト ほう!DSC02122
2010.06.06 鳥越祭 トルネードポテト ほう!DSC02122
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2010.06.06 鳥越祭 鮎の塩焼き。外人が一本くれと言っている。DSC02123
2010.06.06 鳥越祭 鮎の塩焼き。外人が一本くれと言っている。DSC02123
posted by (C)カントク

2010.06.06 鳥越祭 満足そうだ。DSC02124
2010.06.06 鳥越祭 満足そうだ。DSC02124
posted by (C)カントク


道路に出るとお囃子が聞こえてきた。ようやく神輿を見つけたぞ。

(つづく)

2010年6月5日土曜日

浅草鳥越は6月から始まるんだね。(1/3)

 今日は2010年6月5日。カントクは最近、東京でも大阪でも休日になるとずっとひきこもり生活をしていて、いつも家でごろごろ、眠い眠いと言っている。

 でも、この土日は、「ちょっとだけ活動的」だった。

 朝からご飯を炊いて、「しじみ2000個分のオルチニン800mg入り五目御飯の素」というのを混ぜて食べ、 「なんやこれ、うにゃべちゃなメシになってしもたがな、炊き込みにしたらよかったかなぁ・・」などと言っている。

2010-06-05-混ぜ込み五目ごはんのもと、しじみ2000個分のオルチニン800mg入り、なんか、うにゃべちゃっとしていまいち。
2010-06-05-混ぜ込み五目ごはんのもと、
しじみ2000個分のオルチニン800mg入り、
なんか、うにゃべちゃっとしていまいち。 
posted by (C)カントク


 たまっていた洗濯物を片っ端から洗い、ワイシャツや上着をクリーニングにも持って行き、

 昼前には浅草ビューホテル横のライフの地下にあるクリエイトという薬屋で、シャンプーに石鹸にヘアウォーター、ソフラン、ワイドハイター、カビキラー、物干しなどを買い込んで、そのままいつもの鳥越寿司へ。

 「岩牡蠣があったんで、二つ注文した。となるとビールも頼まなしゃ~ないがな」とか言ってる。

2010-06-05 おぉ、もう岩牡蠣が。2個と・・・ビールもちょうだい-鳥越寿司12.58.58
2010-06-05 おぉ、もう岩牡蠣が。
2個と・・・ビールもちょうだい-鳥越寿司12.58.58
posted by (C)カントク


 それから今度は敷き布団(と言っても薄いベッドパットみたいなやつだけど)を洗濯機に押し込み、「無理かなぁ・・」などと言いつつ、カビキラーを風呂場や湯船の蓋に噴射して、また外へ。

 浅草サトミで自転車のチューブを2つ買ってきた。これ、お寿司食べてビール飲んで
買って帰るのをすっかり忘れちゃったイテッ、んだね。

 寝床の枕側の窓枠にチューブを結ぶ。寝転がって、手で引っ張って、「おぉ、ちょっと腹に効いてるがな」と言ったり、チューブを両方の足裏にかけて足をまっすぐに伸ばしたり、ぶらぶらと揺らしたり、「おぉ・・・、足の腱も股の腱も腰も皆伸びて、気持ちええ・・」のだそうだ。

 でもその格好・・・パンツいっちょのおっさんがチューブにつながれてV字開脚している感じになるわけで、趣味の悪いSMの・・・痛てっ!

 布団が洗い終わり、「ありゃ~、石鹸の粉がついたままやがな。やっぱりちょっと無理やったかなぁ・・」などと言いながら、狭いベランダに干す。

 夜はローソン100で買ったキャベツや人参の入った、野菜炒めの野菜セット105円を、ウェイパーで炒めて食べる。カントク、そのウェイパー、もう一年以上経ってない?大丈夫?

 こんな感じで一日を過ごすのが、「ちょっと活動的なカントクの休日」なんだ。

 で、また寝転がってSMの格好で何気なくテレビを見てると、鳥越祭りのことをやっていたので、明日、行く気になったらしい。

 今日は2010年6月5日。カントクと出会ってから1年と307日

(つづく)

2010年6月2日水曜日

観光名所たる都庁の風景。

新宿高層ビル群に来るのはひさしぶりだ。都庁を見るのは初めて。近くの会社で商談を済ました帰り、ちょっと見学していくことにした。

2010-06-02-東京都庁 横から。17.07.45
2010-06-02-東京都庁 横から。17.07.45 
posted by (C)カントク

2010-06-02- 都庁正面 ガラスに向いのビルが写っている。17.10.02
2010-06-02- 都庁正面 ガラスに向いのビルが写っている。17.10.02
posted by (C)カントク


全容をカメラに収めるのは難しい。超広角レンズがほしいなぁ・・・。いやその前にデジタル一眼欲しいなぁ。

2010-06-02 展望台と書いてあるので登ってみた。エレベーターに人の列。「通天閣とだいぶ違うなぁ、きゃはは」と大阪弁の女の子3人。17.28.48
2010-06-02 展望台と書いてあるので登ってみた。エレベーターに人の列。「通天閣とだいぶ違うなぁ、きゃはは」と大阪弁の女の子3人。17.28.48
posted by (C)カントク


展望台へのエレベーターの前には、五、六十人くらいの人たちが列を作っていた。10分ほど並んだか、中国語、韓国語、英語、大阪弁など多言語が飛び交っている。

展望台では土産物屋とレストランがあり、展望窓の上下にはその窓から見える写真と建物名などが記されている。

2010-06-02 おぉ、大菩薩峠! 「音無しの構え」の机竜之助が、なんて言っても知ってる人のほうが少ないのだろうなぁ。-17.29.41
2010-06-02 おぉ、大菩薩峠! 「音無しの構え」の机竜之助が、なんて言っても知ってる人は少ないのだろうなぁ。-17.29.41
posted by (C)カントク

2010-06-02 大菩薩峠はこの夕陽の左下にきっとあるのだろう。17.29.52
2010-06-02 大菩薩峠はこの夕陽の左下にきっとあるのだろう。17.29.52
posted by (C)カントク


暑いし、曇ってるのかスモッグかで遠くは見えない。


2010-06-02 こういうビルを建てようと思うこと自体がすごいと思う。17.30.57
2010-06-02 こういうビルを建てようと思うこと自体がすごいと思う。17.30.57
posted by (C)カントク

2010-06-02 あの尖塔はNTTビルのようだ。17.33.23
2010-06-02 あの尖塔はNTTビルのようだ。17.33.23
posted by (C)カントク


高いところ登りたいくせに、どうも居心地が悪く、一回りしてすぐ降りてしまった。


2010-06-02 この右側の一番上がさっき登った45階展望室でごさいます。17.41.28
2010-06-02 この右側の一番上がさっき登った45階展望室でごさいます。17.41.28
posted by (C)カントク


こういう高層ビルっていうのは、なんだかよそよそしい。横で中国人の観光客がバシャバシャとカメラを振り回している。

2010年6月1日火曜日

銅板建築 青果「塩栄」(神田) 古洋館 比留間歯科醫院 看板建築 理容 天谷(上野)


2010-06-01-比留間歯科醫院 隣の理容天谷もいい感じ。上野浅草口18.03.15
2010-06-01-比留間歯科醫院 隣の理容 天谷もいい感じ。
上野浅草口18.03.15 posted by (C)カントク

上野から浅草まで歩いて帰る。上野からすぐにこの歯科醫院と、隣に看板建築の理容店がある。どっちも現役なのがいい。



2010-06-02 -青果 塩栄 銅板建築13.23.56
2010-06-02 -青果 塩江 銅板建築13.23.56
posted by (C)カントク


看板建築は「庇を設けない」という規定?があるようだけれど、この庇はあとから取り付けたのだろう。なんとなく青果っぽくてかわいい。この間取り壊された顔の形をした看板建築の向いに建っている。

目黒大円寺 石仏群と金ピカ菩薩

2010年6月1日。商談が終わって目黒駅に向かう。急な坂の途中に大円寺石仏群という表札が見えたので立ち寄ってみた。

2010-06-01 大円寺石仏群 目黒-17.07.57
2010-06-01 大円寺石仏群 目黒-17.07.57 
posted by (C)カントク

『明和九年(1772)2月に江戸市街地を焼いた大火があり、火元と見られたのが大円寺であった。大円寺では焼死した人々を供養するために、境内に古百羅漢像を建立したと「新編武蔵風土記稿」は記述している。

しかし、判読できる銘文によると、この大火で死亡した人のみの供養ではなさそうであるが、江戸災害史の貴重な記念物であることには変わりはない。』

とある。ま、どっちゃでもええやんかっていうこっちゃな。

2010-06-01-八百屋お七の恋人吉三が作った目黒川太鼓橋の石柱 とある。 大円寺境内 目黒17.08.32
2010-06-01-八百屋お七の恋人吉三が作った目黒川太鼓橋の石柱 とある。
 大円寺境内 目黒17.08.32 
posted by (C)カントク


八百屋お七と言えば、井原西鶴の浄瑠璃。火事で避難した寺の小姓吉三(きちざ)に一目惚れしたお七が、再び吉三に逢いたいと、「吉三恋しやぁ~・・・」って、放火をしてしまう。

当時火付けは打首。奉行が罪を減じようと、お七に死罪の適用されない年齢「そちは十五に相違なかろう」と言うのを、「十六にございます」と宮参りの証まで持出す。「あわれお七は~~・・・・」っていうやつだ。

吉三は後にこの大円寺(当時明王院)の僧となったということのようだ。

2010-06-01-体の悪いところに金箔(500円)を貼って真言をとなえて祈願してください。とある。 大円寺境内 目黒17.10.25
2010-06-01-体の悪いところに金箔(500円)を貼って真言をとなえて祈願してください。
とある。 大円寺境内 目黒17.10.25 posted by (C)カントク


木漏れ日が当たってキラキラと光っている。きれいだが、何か腑に落ちない、というか、どっちゃでもええがなっていう石仏群、実話なんだろうけど吉三の作ったという石柱、500円也の金箔を貼る観音様、言っちゃ悪いがうさんくさい・・・。

2010年5月11日火曜日

顔の形の看板建築が、取り壊されてしまったよ。

 看板建築っていうのは、関東大震災の後に多く建てられた、一階が店舗、二階、もしくは三階が住居という商店のかたちで、店の前の壁面は建坪率の問題で庇を設けない平面、壁を銅板やモルタルで装飾、銅板建築というほうが一般的なのかもしれないが、とにかく関東地方に多い建築様式なのだと言う。

 東京に出てきて浅草に住み、神田で仕事をするうちに、緑色の壁の古い商店が、なんとなく好ましく、インターネットでそれとなく調べて、こういうのを看板建築とか、銅板建築とかいうのだということを知った。

 この写真は、銅板ではないが会社からほど近くにある看板建築。看板建築の命名者である藤森照信氏の著作はもう書店にはなく、図書館に行って読んだ。顔を模したものには、たしかフェイスなんとかだったかという名前がついていて、マニアも多いとあった。

不動産屋の営業所のようだったが、2月に空き家になった。イヤ~な予感がして撮ったもの。


2010年2月22日 顔を模した建物 神田界隈 看板建築
posted by (C)カントク

 緑色の緑錆に覆われた銅板(看板)建築は(この建物のまさに左隣にもある)、懐古的風情の景色として美しいものではあるけれども、興味のない人にとってはただの古い建物というだけのものだ。でもこの建物には、なんとも言えず惹かれた。いつ建てられたのか、誰が建てたのかは知らないが、数十年を経てもこれを建てた人のユーモアや技術、大工の心意気が伝わってくる。

 ある日、この建物に入っていた不動産業者が移転の案内を出し、誰が新しい借り手があればいいがと願っていたら、しばらくして工事用の青いシートに覆われてしまった。

2010年4月27日 ワシが知っている唯一の、顔を模した看板建築が取り壊されてしまった。東京に出てきて初めて知り合いになった友人を、亡くしたような気持ちになっている。
posted by (C)カントク



 修復などという期待をしていたわけではないが、前にトラックが止まり、解体が始まったことを確信、

 そして4月27日、建物の高さが半分ほどになり、トラックに廃材が積まれているのを見るにつけ、なんだか友人をなくしたような、うまく言えないが、東京に出てきて同年代か少し年上の気の合う仲間に出会い、その人が突然亡くなってしまったような、少し大げさだがそういう喪失感をおぼえた。

 5月10日、もう建物は無い。

2010年5月10日 顔を模した看板建築 今日は完全に無くなっていた。
posted by (C)カントク

2010年4月14日水曜日

ニコライ堂の蝋燭は黄色なんだよ。

今日は2010年4月14日。カントクは最近見つけたお気に入りの店でブリの照り焼き定食を食べ、腹ごなしだと言って須田町の坂を上がった。

水道橋の近くに来ると、緑の丸い屋根に白い壁の教会風の建物が見える。


2010年4月14日 須田町でメシを食って坂を上がるとこんなんが見えたので近寄ってみる。

こんなんが見えたので近寄ってみる。
posted by (C)カントク


近寄りたいが、道路に渡れるところがない。しかたなく右手に折れて聖橋を渡り、あ、ここから秋葉の石丸電機とかの看板が見えるね。下は、神田川だ。橋を越えると右手に「湯島聖堂」とある。

「あれっ? ここは以前に来たことあるなぁ・・。たぶん近くに日本サッカー協会があって、そこのミュージアムで実物大オリバーカーン人形を見た記憶が・・。」

歩道の地域案内図を見て、「うん。間違いない。へぇ、神田明神もすぐ近くなんやなぁ。」などと言っている。

教会についた。ボクは門の前で待機。

イイスス・ハリストスの復活を記憶する大聖堂であり、正式名称は「東京復活大聖堂」。「ニコライ堂」は別名であり、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライにちなむ。
建築面積は約800平方メートル、緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴であり、日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれる。1891年に竣工し、駿河台の高台に位置したため御茶ノ水界隈の景観に重要な位置を占めた。関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至る。1962年6月21日、国の重要文化財に指定された。 (Wikipedia)

2010年4月14日 ニコライ堂 聞いたことあるようなないような。右は鐘楼のようだ。中に入ってみよう。ご寄付300円で黄色の蝋燭をもらう。 神田駿河台


2010年4月14日 ニコライ堂 聞いたことあるようなないような。
右は鐘楼のようだ。中に入ってみよう。
拝観献金300円で黄色の蝋燭をもらう。 神田駿河台
posted by (C)カントク


聖堂拝観は、清掃・維持管理費として300円程度の拝観献金をお願いしています。
てなことが書いてある。300円を渡すと、黄色い蝋燭とパンフレットのような紙をくれた。
中には古いイコン(でいいのかな聖人の肖像画)が飾られ、古びた椅子も置いてあるが、中には入れないようだ。撮影も禁止。

蝋燭に火を移し、燭台に挿す。ステンドグラスやイコンなどを一通り眺めて外へ。まぁ、信者でもなんでもなく、建物を見に来た来ただけっていう感じ。
さ、帰ろう。

今日は2010年4月14日 カントクで出会ってから1年と255日。

2010年4月10日土曜日

一葉桜まつりの花魁道中を見てきたよ ~浅草観音裏 #asakusa

チャリです。今日は2010年4月10日。今日は浅草で、「一葉桜祭り」が開かれる。

カントクは去年これの垂幕だか提灯だかを見かけて、
「浅草の人も酔狂な。葉桜も祭りにしてしまうんだなぁ・・」と思っていたと言う。

で、今年、ツイッターでフォローしている浅草の人たちが、今年も一葉桜祭りの花魁道中が、なんていうのをつぶやいてるのを見て、「???・・・!」となった。

2010年4月10日 一葉桜祭り花魁道中

2010年4月10日 一葉桜祭り花魁道中 posted by (C)カントク

一葉桜というのは、

元々荒川堤に植えられていたサクラの1つで、里桜の代表的な品種。花は直径5センチ、八重咲きの大輪で、つぼみは淡紅色、のちに白色に近づきます。 緑色に葉化した雌しべが1本、花の中心からつきでているので「一葉」の名で呼ばれています。

ということのようだ。

樋口一葉の「たけくらべ」の舞台になった近くの通りを、「一葉桜 小松橋通り」と名前を変えて、この一葉桜を植えたとのこと。

まつりは江戸開府400年の平成15年に始まり、今回で8回目だという。へぇ、まだ新しい祭りだったんだ。

吉原花魁、樋口一葉、そして一葉桜。なるほど、勉強になりました!




【動画】 2010年4月10日 一葉桜まつり 花魁道中 1/4 花魁の足運び。もう少しゆっくりのほうが優雅かもね。 posted by (C)カントク





【動画】 2010年4月10日 一葉桜まつり 花魁道中 2/4 posted by (C)カントク





【動画】 2010年4月10日 一葉桜まつり 花魁道中 3/4 posted by (C)カントク





【動画】 2010年4月10日 一葉桜まつり 花魁道中 4/4 posted by (C)カントク


今日は2010年4月10日。カントクと出会ってから1年と251日。

2010年3月28日日曜日

カントク、もしかして写真を無くしちゃったなんてことは・・

 チャリです。今日は2010年3月28日。 カントク?二週間前さ、駒形から向島のあたりまでうろうろしたじゃない? 

 向島の羽子板屋さんとか、汲上式のポンプの井戸とか、蔦に覆われたお医者さんの建物とか、路地の奥の廃屋の格子に貼ってあったなんとか神社のお札とか、結構たくさん写真撮ったじゃない? 

 あれってこのブログに載せないの? あれ? ・・・もしかして・・・・、もしかして消しちゃったとか? いてっ!

今日は2010年3月28日 カントクと出会ってから1年と238日目。

2010年3月20日土曜日

謎の蔵続編。今日は、と、扉が開いてたよ。こわいよ。 ~浅草界隈の古建築めぐり #asakusa

チャリです。今日は2010年3月20日 カントクは鳥越寿司で朝昼食兼用のにぎり定食を食べている。

浅草には「すしや通り」っていうのがあるのだけど、カントクはそっちの店には行ったことがない。

鳥越寿司は、目と体の丸っこいにいちゃんが板さんをやってる。旦那は魚の下ごしらえなんかはしてるみたいだけど、握ってるのは見たことない。時折旦那の奥さんも見かけるけど、旦那と二人でお茶出したりしてる。

お客さんは地元の常連さんばかりで、観光客はほぼいない。旨くて安くて静かで落ち着くので、カントクは他の寿司屋に行く気がしないのだという。

ボクは今、店の前にいるのだけど、少し落ち着かない。なぜかと言うと、先週もこのすぐ近くに来たからだ。そう、閉じ込められたら何でも白状してしまう恐ろしい蔵が、すぐそこにあるんだ。

カントクはゼッタイ帰り道にアレを見に行くはずだ。あ、出てきた。・・・「カントク、今日も天気がいいから上野とか行ってみる?、それとも一回行きたいって言ってた谷根千とか今日行っちゃう? あ、そうそう、ポータブルDVDとか欲しいって言ってたよね、アキバにでも行く?それとも・・あぁ、やっぱりこっちに行くの?・・・」

2010年3月20日 あっ!、開いてる。ほらほら、分厚い扉に鉄格子・・・ 浅草雷門南西

うわ~、開いてるぅ~~。写真とらなくていいから早く帰ろうよカントク早く帰ろうよ・・。

今日は2010年3月20日。カントクで出会ってから1年と230日。

2010年3月13日土曜日

いい感じの家発見!・・・あぁ、でも人の住んでない家はダメなんだ。 ~東駒形 ~浅草界隈の古建築めぐり

チャリです。今日は2010年3月13日。もう、どのあたりにいるのかわからないけど、たぶんまだ東駒形。

主幹道路、たぶん三ツ目通りから北へ向かうと、よさげな物件がチラッと見えた。路地に入ってみる。

2010年3月13日 うわ~、こういう民家が都内にまだ残って・・ん?人の気配がないな。 東駒形

でも、近づくにつれて、なんだかわからないが悲しい気分に。もっと近くに来て原因がわかった。人の生活している気配が全くないんだ。

表のほうに回ってみる。「サザエさん」の家みたいな、いい感じの建物なのに、完全に廃墟になっている。

2010年3月13日 こっちが玄関。明らかに廃墟になって屋根もいくぶん歪んでいる。扉は開かない。 人の住まない家はよそよそしく、人を拒絶しているように感じる。東駒形

こういうのをカントクは「家の屍」と呼んでいる。人が住まなくなった家はすぐに傷んでダメになってしまうのだという。人が誰かしら、何かしらの関わりを持っていないと生きられないように、家っていうのも誰かが住んであげないと、寂しくて悲しくてすぐに死んでしまうのだと言う。

今日は2010年3月13日。カントクと出会ってから一年と223日目。なんだか少しつかれた。続きはまた今度。

昭和30年頃築の材木屋さん。半世紀を経た風情をとくと御覧じろ ~東駒形 ~浅草界隈の古建築めぐり

チャリです。今日は2010年3月13日。東駒形を探索中。

さっきの保健所の筋向いに、材木屋さんがあった。ここらではそう珍しくないんだけど、関西にはこういう「材木屋さん」っていう店自体を見かけないらしい。

表から全景の写真を撮って、
2010年3月13日 材木屋さん 東駒形 昭和三十年頃の建築

店先から中のほうも・・・。人がいないからいいようなものの、ちょっと不躾じゃないカントク?

2010年3月13日 この階段の味のあること。細くて急で、でもなつかしい。東駒形

いや、誰か中にいますよ。どうすんの、怒られたり・・。

「こんにちは。すいません、あまりにいい風情なんで少し写真を撮らせてもらいました。」

「あぁ、そうですか。かまいませんよ。こういう古い建物が好きなんですか?」

「ええ。もう、ねぇ、こういう造り、階段の具合もいいし、梯子もなつかしい。ガラスも昔のものですよね。こういうのはタマランのです。」

「そう、ガラスは昔のまま。波打ってる。この家は昭和三十年だったか、もう五十五、六年かな。」

「こういう一枚も入れ替えてないガラス戸には、めったにお目にかかれないので。あ、ガラスと店の中、もう一枚いいですか?」

「どうぞ。また何かあったらいつでも。」

なんて話をしている。よかった。

2010年3月13日 店舗部 引き戸のガラスは当時のもので波打っている。こういうのは文化財として保存すべきだと思う。東駒形

今日は2010年3月13日。カントクと出会ってから一年と223日目。ここから向島あたりまでぶらぶら行ってみようって。

なにやら危なっかしい秘密実験工場のような施設を発見したぞ。 ~東駒形 ~浅草界隈の古建築めぐり

チャリです。今日は2010年3月13日。厩橋を渡り、東駒形を探索中。

なにやら工場チックな屋外配管群が。ここはなんだろう? 少し周りを見てみる。保育所?ラジオ体操場?危険物の表示?

・・・わかったぞ!  裏で極悪な秘密実験を行っている組織が表向きだけ社会貢献しているんだ!

 きっと、ここの経営者はでっぷりふとって頭ツルツルのおっさんだ。保育所の園長も兼ねていつもニコニコしているので、園児や保護者から「えべっさん」とか「えびすのおったん」とか言われて慕われている。

 でも裏ではボクなんかが想像もつかないような悪いことをやっていて、笑っているときはえべっさんだけど、怒ると仁王さんのような顔になって子分の頭をクリスタルの灰皿で殴ったりするに違いない。

 そして、頭が割れてキズを押さえた手が血まみれになって、指から血が滴りそうになっている子分に、「あ~あ、高い灰皿にお前の髪の毛と皮がついてもたやんけキモチ悪いなぁ。コラぁっ!絨毯汚すなボケッ!!なんぼすると思とんじゃこのボンクラ!」とかって関西弁で怒鳴るんだ。

きっとそうだよねカントク?


2010年3月13日 工場配管のような外壁 東駒形

今日は2010年3月13日。カントクと出会ってから一年と223日目。

今までこの建物が焼失していないのが奇跡的だと思う昭和中期頃の建物 ~駒形橋・厩橋間 ~浅草界隈の古建築めぐり

チャリです。今日は2010年3月13日。雷門から駒形橋を過ぎて、川沿いの道を厩橋へ。

ここは、以前は通勤の時に毎日通っていたのだけれど、最近は表通りを走るようになったので、ひさしぶりだ。

お好み焼き、もんじゃ焼きの「まんぼう」って店があって、カントクはいつ行こうかと狙ってたんだけど、一回も行かないうちに店主が体をこわしたらしく、今は休業ってなってる。もう一年くらいになるのかな。

で、鰻の前川っていう、見るからに高そうな店があって・・、その先もう少し行くと、ここだ。

2010年3月13日 看板建築なのか?本当は燃やしたりしてないのか?

ほら、これです。これが、目と口を模した看板建築だと言っていいのかどうかはともかく、「何屋さんだったのか」が非常に気になるのだとカントクは首をかしげている。

 だって、これですよ? これが壁についてるんですよ?
2010年3月13日 これは自然にこうなったのか?本当か?それともやっぱり・・・

 「よし、今日のノルマは終了だが、まだ日も高いので、厩橋を渡って東側を探索しよう!」だって。

 今日は2010年3月13日。カントクと出会ってから一年と223日目。

看板建築とは(参照:wikipedia
典型的なものは木造2階建ての店舗兼住宅で、屋根裏部屋を造り、建物前面を平坦として(軒を前面に出さない)モルタルや銅板で仕上げて装飾をつける。ちょうど看板のような平坦な壁を利用して、自由なデザインが試みられたため、看板建築と命名された。建築物の造作に商店の「看板」を作りつけたものではなく、看板建築の平面は看板・広告スペースとして用いられるものではないことに注意。

ツタのからまる謎の蔵。光を遮る窓扉、アヤシすぎる留め金 ~ 雷門南西 ~浅草界隈の古建築めぐり

 チャリです。今日は2010年3月13日。めっちゃくちゃ天気がいいので、カントクは近くの会津蕎麦屋でとろろ定食を食べ、そのままボクと一緒にひさしぶりに浅草の町へくりだした。

 まず向かったのは、雷門から少し南に入ったところにある、これは蔵?なのかな。以前に見た時はこの鉄の扉が開いていて、中に鉄格子?のようなのが見えて、ちょっと怖い感じがしたんだけれども、これは何なんだろう・・。

2010年3月13 雷門から少し南にあるアヤシイ蔵?このツタの感じがさらなるアヤシサを演出している





2010年3月13 蔵の扉 以前空いていた時は中に鉄格子があったような・・


建物を覆うツタの感じもアヤシイし、ピッタリと光を遮ってしまう黒い扉は、あぁ、もうここに閉じ込められたら一筋の光さえも封じられ、夜も昼も暗黒の世界、三日目には「ワタシがやりました。何もかも白状しますからどうかここから出してください。」と、無実の罪を告白してしまう状況になりそうな気がする。


2010年3月13日 蔵の下部には、どう見ても焼却炉の着火口にしか見えないものが・・・。

 あ、下のほうをよく見ると、植木に隠された小さな着火口のようなものが。なんで外から留め金をかけるようになってるんだろう、なんで鉄でなきゃいけないんだろう・・・。なんでカントクはこんなものが好きなんだろう・・・。

 今日は2010年3月13日。カントクと出会ってから一年と223日目。次は厩橋のほうへ向かうって。

2010年2月19日金曜日

博多中洲は川沿いの、屋台で深夜にラーメンを食う。おでんも焼き鳥もみな食う。

2010年2月19日深夜 ラーメン 博多中洲屋台
2010年2月19日深夜 ラーメン 博多中洲屋台
仕事が終わって中洲に繰り出した。店で飲んで仕上げのラーメンは川端へ

2010年2月19日深夜 焼き鳥とおでん 博多中洲屋台
2010年2月19日深夜 焼き鳥とおでん 博多中洲屋台
ラーメンを待つ間、おでんと焼き鳥を。焼き鳥はでかい串にいろんなのがささってる。これうまい。

2010年2月19日深夜 ラーメンを作っているところ 博多中洲屋台
2010年2月19日深夜 ラーメンを作っているところ 博多中洲屋台

2010年2月19日深夜 博多中洲屋台 風景
2010年2月19日深夜 博多中洲屋台 風景
地元の人は、川沿いは高くとられるからやめておけ、裏に行けば安くてうまいところがあるなどと言い、まぁ実際ちと高いなとも思ったが、観光客は「中洲川沿い」という風情に金を払ってもいいと思う。

かろのうろん屋で、まるてんうろんとかしわふたつ食うたげな。

福岡空港は快晴。でも気温は6度って言ったかな、寒い。昨日、東京から大阪に帰り、今日は朝6時半に起きて関空から福岡まで、バスに翼をつけたようなちっこい飛行機で飛んできた。

ひと仕事したら、用意した弁当が足りないと言うので、外へ。駅から歩いていた時、櫛田神社の鳥居が見えたので、同僚においしいよと薦められた「かろのうろん」を探してみることにした。

5分ほどで櫛田神社境内へ。お参りして鶴の井戸で水を飲み、つげの櫛のお守りをひとつ買って出る。ここは昨年来たから勝手はわかっている。

「かろのうろん」外観。看板には「かろのうろん屋のかろに、わくろうが3匹、ふくろうろったげな」とある。店内の冊子を見ると、「ふくろうろったげな」のあとに「ふてえがってぇな」と続くらしく、角のうどん屋の角に、蛙が3匹うずくまっていたそうだ、これはたまげた と言っているらしい。

「うろん」=「うどん」は、上方落語などには時折「けつねうろん」というような言い方が出てくるので知っていて、ギャグのように「けつねうろん食いたい」などと言うこともあるが、日常会話でも店の看板で「うろん屋」と書いてあるのにもお目にかかったことはないなぁ。

こういう色紙をもらった店主はうれしいだろうなぁ。

かあちゃん知っとおや、この店ばい
ろうすコンブで
のれんどおり
うろんのうまかと
ろんより証拠
んと食べやい安かばい


頼んだのは まる天うどん500円。このマル天というのも、関西でも関東でもお目にかからない。もちもちとしておいしい。

「おにぎりちょうだい」と言うと、「はい、かしわね。」とおばちゃん。ひさしぶりこの言葉を聞いた。関西でも年配の人は鶏肉のことを「かしわ」と言うが、鶏肉が入った炊き込みご飯の握り飯。うまそう。
うどんはやわらかいが、コシがないわけではなくダシもおいしい。いいなぁ博多。
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