2007年12月15日土曜日

ビガマス運動 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その6)

(承前) 一週間後。初めてのビガマス運動。「最初は5分間、負荷3kgでやってみましょう。」

ビガマス運動をする機械は、エアロバイクのペダルを両足とも下に垂らした感じのものを想像してほしい。

サドルにまたがり、ペダルを足に固定、前にクッションを置き、上半身を前傾させてハンドルを軽く握る。エアロバイクと違うのは、この状態から、足を交互に後ろに蹴り上げる動作をすることだ。「エアロばた足」もしくは「欽ちゃん走り訓練」といった感じの運動になる。この運動を10分間行うことで、約1時間のウォーキングと同じくらいの運動量になるという。

ペダルへの負荷は先生が決めるが、同じ負荷でも前傾姿勢を深く、足を高く早く跳ね上げることで、かなり高負荷の運動になる。運動中、心拍数が高くなると年齢に比して負荷が自動的に軽くなるとのことだ。リハビリなどに使う医療機器なのだろう。よくできている。

また、この運動は足の付け根の部分だけを動かすもので、膝に負荷がかからないところもいい。ジョギングなどで膝を痛めることもあり、かと言って膝への負荷が少ない水泳などは、気軽にできるものではない。こういう体に優しい運動器具は健康器具メーカーなどがもっと取り組んでもいいのではないかと思う。

実際に乗ってみて、これで運動になるのかという感じで5分が経過した。

「どうです?軽い感じでした? でも、今のでほら、253kcal消費してますからね。次から一分ずつ増やしていきます。10分くらいになると、少し運動した気分になると思いますよ」

253kcalというと、なるほど30分ほど走ったのとほぼ同じくらいだ。しかし本当かね。

本題の手首は、前回の治療後確かによくなったが、またもとに戻ったような感じだと言うと、今回は筒状のものでなく、長い鍼でプスプスと腱の周りを刺して、「どうですか?」「まだ少し痛みます」「どうですか?」「いいようです」という感じで、治療してもらった。

「まず、痛みがとれて、それから腱が太くなってしまっているためにクキクキとする感じになっているんだと思いますが、痛みがとれた後、その感じもなくなっていきますので。」と先生は確信に満ちて言った。

「テーピングをしときましょう。」

細いテープを横に3本、縦に3本格子状に。で、対角線に2本。手首が戦時中の窓硝子のような感じになった。

「変わったテープですね。初めて見ました。」
「スパイラルテーピングといいます。これで血流をよくします。」
「テーピングで血流がよくなるんですか。へぇ。」

テーピングというのは患部を固定するものという頭しかなかったが、このスパイラルテーピングというのはそういうものではなく、鍼や灸と同じように、皮膚にテープという刺激を与えることで血流をよくし、痛みをやわらげるのだという。

う〜ん、信ずる者は救われる・・か。(先生はクリスチャンのようで、壁にキリストの肖像画がかかっていたり、日めくりのカレンダーに聖書の言葉が書いてあったりする。)ビガマス運動もまずまず気に入った。気長に通ってみることにしよう。

   ~ これが2007年の冬の話だ。~

その後ここには3ヶ月ほど通った。症状は少しずつ、少しずつ改善していったが、春になり、梅雨が来ても完治というところまでには至らなかった。現在でも少し違和感があり、長い時間キーボードをたたいた日などは少し痛みを感じることもある。

けれども、何よりこの腱鞘炎がきっかけで、いろんな経験をした。薬と注射満載主義の医者は、真剣に運動しようという決意を与えてくれた。次に行ったところで走ることが楽しくなった。そして、最後に通ったこの鍼灸院ではスパイラルテーピングという、自分でもいろいろと活用できそうな技術や、サンドバックの叩きかたも教えてもらったし、ビガマス運動を10分やるだけでは物足らないと言うと、これと併用して、血流を抑制して効果的に筋肉を鍛えていく「カーツトレーニング」のやりかたも教えてくれた。

そして、運動したり食生活を変えたことで、83kgあった体重が半年ほどで76kgあたりまで落ち(最近また盛り返しつつあるが・・)、体が軽く感じられるようになったことなど、得たものは大きい。 これぞ怪我の功名というものだ。(2008年11月)

(監)

2007年12月10日月曜日

鍼 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その5)

(承前) こぢんまりとした鍼灸院に、5・6人ほどが低周波治療や手足の温浴、マッサージ機などを使っている。

「ここをどうしてお知りになりました?」という質問に、「インターネットで、先生がエディスタッフだったことを知りまして、先生にぜひとも診ていただきたいと思い、」とはあまりに追従くさくて言えず、「えっと、義父が移転前に先生にお世話になってまして。」と答えた。

手首を10分間冷やす。治療用のアイスノン(商標?)は、中がパウダーになっている。凍った状態でも患部にピッタリフィットし、直接肌につけていても凍傷のようなことにはならないという。いいなこれ。

そのあと、セラミックボールや薬草、漢方薬などを漬け込んだ湯に手足をつけて温浴。以前にやったゲルマ温浴は20分だったが、ここでは5分。自分で砂時計をひっくり返して入る。手足が生薬くさい・・・。

診察台に行く。まず、首肩腰に鍼をうってもらった。鍼をはじくようにしているのだろうか、ボンボンという感じで打っていく。

「どうですか? 楽になりましたか?」と先生が聞く。

前のところでは、力いっぱい揉んでもらってかなり気持ちがよかったので、そんなさわったかさわらないか、蚊が刺したほどにも感じないようなモンで、ポンポンしただけでアレッ?

「あ、楽になってますね。」

「じゃ手首も見ましょう。」ポンポン、ポン「はい、動かしてみてください。」

いやいや先生、そんな簡単に言うけど、これ、親指動かすと腱がグキッと裏返ったような感じになって、その瞬間も痛いし、裏返っている間もずっと、かなり痛くて、もとに戻すときも最初と同じくらい痛いんですよね。

そんなことなんで、あんまり動かしたくないんだけど、先生がそういうなら・・・アレっ? 腱がこすれる感じはそのままだけど、痛みは・・ないことはないけど・・・。

「あ、なんとなく薄れた感じがします。」

「じゃ今日はこれで」

すごいな鍼というのは。こんなに即効性があるものなんだ。

治療はこんな感じで終わったが、ここに来るときに気になっていたのが、「ビガマス運動」というものだった。

「これをやらせてもらえませんか?」と聞くと、「今、治療したとこなので、しばらく安静にしておいたほうがいいです。セッティングもあるので次回から、治療前にしましょう」とのことだった。少し残念だが、次の予約をして帰ることにした。

(続く)

エディ・タウンゼントスタッフ 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その4)

(承前)12月も中旬に入っていた。手首の痛みも4ヶ月を過ぎると、痛いのが当たり前のように思えてきていた。

西洋医学だと、きっとまた薬と注射で治そうということになるだろう。腱鞘炎自体は、まだ原因のよくわかっていない病のようで、内科的な原因でないのなら、対症療法中心の西洋医学よりも、体の治癒能力を向上させ、根本的なところから治していこうとする東洋医学のほうが、時間はかかるかもしれないがよいだろうと思った。

とすると、やはり選択は整形外科ではなく、整骨院ということになる。先月通ったのは柔道整復系の整骨院で、全身のマッサージは気持ちがよく、ゲルマ温浴も気に入っていたのだが、治療してくれる人が毎回変わることと、肝心の手首の状態が改善しなかったのが不満だった。今度は鍼にしてみよう。そして、できれば先生は一人だけのところがいいとインターネットを探った。

整骨院というのは近所でもかなりの数がある。普段あまり気に留めていなかったが、過当競争になっているのではないか思うくらいに多い。駅前だけでも、歩いて5分くらいの範囲に7箇所ほどの整骨院がある。それだけ需要が多いということだろうか。

ネットに積極的なところは、ショップを開いて各種サポーターや専門的な機器まで販売しているところもあるが、ほとんどの整骨院は、地域情報ポータルなどに、住所と電話の表記があるだけで、電話帳と変わらない。ホームページを開設しているところもチラホラとはあるが、設備や診療内容、受診料などもよくわからず、ポータルにクチコミ掲示板が用意されていても書き込みなどはなく、とりあえず行って受けてみないとわからない感じだった。

そんな中、ふとエディ・タウンゼントというなつかしい名前が目に入った。鍼灸整骨とエディさんにどういう関係があるんだろうと、そこのホームページをのぞいてみると、エディ・タウンゼントボクシングジムのメディカルスタッフだったという人が、うちから歩いて10分のところで鍼灸院を開いていたのだった。

ボクシングの名トレーナー、チャンピオン製造機と言われたエディさんの名をご存知だろうか。ボクシングは選手がやるもので、セコンドやコーチが話題に上ることはあまりない。でも、エディ・タウンゼントというトレーナーの名は、私のボクシングに関する記憶の中に、強烈な印象で残っている。

ボクシングが好きで、よく見ていた。特に重量級が好きだった。

モハメド・アリ、ジョー・フレージャー、ケン・ノートン、そうそう、ラリー・ホームズなんてのも好きだったなぁ。

どの試合も印象深かったが、日本で秒殺ショーを見せたチャンピオンのフォアマンが、引退がささやかれていたモハメッド・アリと対戦した試合は、どんな言葉でも言い尽くせないほどすごい試合だった。

フォアマンがロープにもたれたアリのボディを、背骨も砕けよと叩く。しかしアリはその殺人的なパンチをかわし、当たっても倒れず、どころか、お前のパンチなど全く効かないという顔をし、叩き疲れ、腕が動かなくなったフォアマンにアリが猛攻、フォアマンを倒してチャンピオンに返り咲いた。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われたアリが、イモムシかさなぎのようにちぢこまり、羽化し、舞い、刺した試合だった。

あぁ、懐かしいなぁ。マービン・ハグラーは、テカテカと光った頭を振ってパンチをくり出す姿が、タイガーマスクに出てきた頭に鉄球を仕込んだレスラーと妙にかぶったものだった。ハグラーと死闘を演じた石のこぶしロベルト・デュラン、そのデュランをたった2回で葬り去ったトーマス・ハーンズも大好きなボクサーだった。

日本のボクシングも、この頃が絶頂期だったように思う。ガッツ石松、赤井英和、ジャッカル丸山など、後ろには引かない、前進あるのみ。どつかれたらどつき返す、倒されたら倒し返す、最後に立っているのは俺だというような試合は、体が震えるほどに好きだった。そして、これらの魅力的な日本人ボクサーのほとんどが、エディ・タウンゼントのコーチを受けていた。セコンドで厳しくそしてやさしい顔をしたエディさんの顔も、数々のすごい試合とともに、記憶に残っている。

ボクシング自体は、辰吉あたりまでは試合を楽しみにして欠かさず見ていたが、今はたまにwowowでフロイド・メイウェザーを見るくらいになってしまった。エディさんが亡くなられて後の日本には、魅力的なボクサーがいなくなってしまった。

エディさんの略歴やエピソードがウィキペディアに載っている。少し引用させていただく。


(前略)六人の世界チャンピオンと赤井英和・カシアス内藤らの名ボクサーを育て上げた実績のみならず、人間性や指導方法も高く評価され「名トレーナー」として日本のボクシング関係者・ボクシングファンから尊敬される様になった。

高齢となったエディが、一から育て上げ最後の弟子と言われた井岡弘樹は、とりわけ愛情を注いだボクサーの一人である。井岡のことを「ボーイ」(Boy)と呼び、ジムの二階で寝食を共にして実の息子のように可愛がった。

1987年10月18日に行われたWBC世界ミニマム級王座決定戦で、井岡を世界チャンピオンへと導いたが、この頃は既にエディの体は「直腸がん」の病魔に蝕まれており車椅子で生活しながら指導するようになる。1988年1月31日の初防衛戦では、どうしても井岡の試合を見守りたいと切望し、入院中の病院からベッドに横わった状態で試合会場入りしたが、試合開始直前に意識不明の危篤状態に陥り田中外科(現・渡辺外科病院)へと引き返した。井岡が挑戦者を12回TKOで退けた知らせを病院で聞くと、右手でVサインをかかげた後に静かに息を引き取った。

その劇的な人生は「EDDIE」の名で演劇化され、各地の学校で上演されている。

そのエディさんのメディカルスタッフが、こんな近所で鍼灸院を開いていたことを知り、妻に、「俺は誰がなんと言おうとも絶対にここへ行くことに決めたのだ」と、少し興奮しながら話した。

妻は、「別に誰も何も言わないから勝手に行ったらいいけど、ここっておじいちゃん(義父。うちの近所に引っ越してきている)が昔、膝が痛いって言ってたときに通ってたとこやね。前はもっと近所にあったのが移転してちょっと遠くなったんで、行かんようになったけど。結構混んでるらしいよ。」と、こともなげに詳しい・・・。

「ま、前はもっと近くにあったの・・ね。あ、そう。インターネットで偶然、ようやく、やっと見つけたのに、おじいちゃんが『昔』に『ずっと』通ってたのね。む〜ん・・。」

なんとインターネットの世界は広く、世間は狭いものか。

(続く)

2007年12月5日水曜日

人間ドック 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その3)

(承前) 12月5日。昔一度行ったきり、ずっとさぼっていた人間ドックに行った。今年から発足した衛生委員会などのからみで、私自身が健康診断や人間ドックの未受診者ゼロを部署内に徹底しないといけない立場となり、やむなく、申し込んでいた。

もともと医者ぎらいなのに加え、前日から食事も水もダメだと言われ、朝のくそ忙しいときに検尿や検便などの準備をし、行けば行ったでかなりの血をとられたり、ぬるぬるした冷たいモノで腹をなでまわされたり、バリウムと発泡剤を飲んだ気持ちの悪い状態で、あっちを向けこっちを向け、回転しろとひっきりなしに体の向きを変えさせられるなどに辟易した。そんな不愉快な思いをするために、わざわざ申し込み予約をしなければならないなどは言語道断だ。

10月に行っていた医者の検査をさぼったのは、運動などでの改善意思を聞かずに大量の薬を出した医者への憤りもあったが、2ヶ月経たないうちにこの人間ドックを受けることが決まっていたからということもあった。薬の山を眺めつつ、人間ドックまでに思いっきり運動し、食生活も見直して、絶対に正常範囲に戻してやるのだと心に誓ったのだった。

数日後、検査結果が郵送されてきた。すべて正常範囲内だった。

(続く)

2007年11月17日土曜日

金で買えないもの

「一人暮らしがしたい。」と娘が言い出したのは、10月中頃だったろうか。

学校の近くに学生専用のワンルームのアパートやマンションがあり、敷金礼金なし、家賃共益費込みで一月2万4、5千円ほどだという。

通学に片道2時間弱、往復で3-4時間かかる。娘は、「その時間で勉強したり、アルバイトしたい。家賃と生活費はバイトで稼ぐ。」と言った。

心配でないことはないが、いい経験になるだろうと思い、反対はしなかった。妻も、そういうことを自分で決めて自分の力でやっていこうという思考や行動力がうらやましい。と言った。

部屋はあらかじめいくつか目星をつけていたようで、それから数日後には仮押さえをし、入居は11月17日に決まった。未成年なので、保証人として私の名前や印鑑が必要だが、それ以外の交渉や手続きはすべて娘が一人でやった。

親が関わったのは、エアコンの清掃や部屋の消毒などの入居前のオプションを、娘は金がないからと断っていたが、それでは気持ちが悪い、自分が出すからやってほしいと、妻が斡旋会社に電話して頼んだことくらいだ。

電話の際、アルバイトの給金が入る日と家賃の支払いの日が合わず、結局11月分は無料にしたという話や、引越し前に掃除をしたいからと言うので、契約の一日前に部屋の鍵を渡すことにしたというようなことを聞き、「なかなかしっかりとしたお子さんで・・・」とその担当が褒めて?いたと妻は笑った。

入居申請書類の保証人欄に名前を書き、実印を押す。斡旋会社と家賃の収納を代行するクレジットカード会社から本人確認の電話が入り、手続きは完了した。

引越しは、娘の友人が4人でやってくれることになっていた。そして昨夜、妻が、手伝ってくれるその友人にお礼を渡すと言ったことに娘が反発した。好意でやってくれるものを金にしてほしくないと言うのだ。妻は、親がついていて娘を手伝ってくれた友人に何もお礼をしないわけにはいかない。大人とはそういうものだと言ったが、娘は、絶対にイヤだ。そんなことなら引越屋さんに頼むと泣き、自分の部屋に駆け込んでしまった。

私は、友人にではなく娘に相当の金を渡すように妻に言った。昔、私自身も友人の引越しを手伝ったとき、友人の親からお礼だと封筒を差し出され、そんなものはいらないと断った。しかし、親として礼をしないわけにはいかない、どうしても受け取ってほしいと言われ、最終的に断りきれなかったことがあった。今ならそういうものだと理解しているが、当時は、友情を金で買われたというような気持ちが、多少なりとも残ったのを思い出していた。

娘の部屋に行くと、まだ泣いていた。自分の体験を話し、気持ちはわかると言った。友人ではなく、おまえに金を渡すようにしたから、それでおいしいものを食べてもらうなりしてお礼の気持ちを表すように言った。娘はありがとうと言った。

ただ、言っておくが、おまえも大人になり親になって、今回のように子供が誰かの好意で何かをしてもらった時に、その人に対して親は、何らかの形で礼をしなければいけないものなのだということは憶えておきなさい。気持ちは金で買えないが、気持ちに対する礼を金で行うのはごく普通で最も一般的だということも理解しなさい。それから、あとでお母さんに謝っておきなさい。と言った。

こう書くと、私も親としてなかなかやるではないかというような話なのだが、実際にはその時かなり酒が入っており、自分の体験を話しているうちに、その友人が事業に失敗して行方不明になってしまい、長く音信不通であることや、当時の感情などを思いだして気持ちが高ぶり、娘の前なのに、声を詰まらせ涙を流し鼻をすすりながら話をするという、どうにもこうにも格好の悪いことになってしまったのだった。う〜〜ん。

(監)

2007年11月11日日曜日

携帯のみアメリカへ行く。

娘が言う。「お父さん、明日からおばぁちゃんと一緒に一週間アメリカに行って来るから。これ日程表」

あのな、娘よ、そういうことはもう少し早く、というか、「お父さん、今度おばぁちゃんと一緒にアメリカに行こうと思うんやけど、行ってきてもいい?」というふうなところから話をはじめてほしいと思うのだが・・・まぁ、いいが。

え〜っと、ラスベガスとサンフランシスコか。おぉ、サンフランシスコか。お世話になったSさんは元気だろうか。もし日程が合えば遊んでもらうのもいいかと、Sさんにメールだけいれておくことにした。

プランニングや代理店とのやりとりもすべて娘がやったという。しかし、始発電車に乗って伊丹から成田まで行って、成田で6時間も待って夕方出発って・・・で、ほとんど現地フリータイム、食事もほとんどついてないって、もしかして値段だけで決めたなこれ。

お前だけやったらええけど、年寄りにはちょっと高くても関空からひとっ飛び、食事も少し豪華めのがついてるのにしたったほうがよかったんちゃうんか、などともう少しで口から出そうになったが、いろいろな不備はあっても、自分で決めて行動したということを評価してやるべきかとやめておいた。

「もし、Sさんに遊んでもらえるようなら携帯にメールを入れる」と言うと、娘は、「私の携帯もおばぁちゃんの携帯も海外で使われへんから連絡できへんで。」と言う。「お父さん、どうせ携帯使えへんやろ? お父さんの携帯貸しといて」

あのな、娘よ。確かに、電源がいつの間にか切れていたり、3日くらい前の留守電に気づいたりすることもあるが、そんな、どうせ使えへんから貸しといてなんていう、そういう言い方は・・・・まぁ、ええわ、持って行け。

というわけで、私の携帯は今年2度目の渡米中だ。

(監)

2007年11月10日土曜日

手首&マッサージ&ダイエット 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その2)

(承前) 11月初旬。新聞に整骨院のチラシが入っていた。家から歩いて20〜30分見当だろうか。

「ゲルマ温浴、岩盤浴、ブルブルダイエットマシン1ヶ月使い放題! 通常2,500円のところ、このチラシご持参の方は2,000円!」と書いてある。

整骨院なら手首の治療をしてもらいながら、首肩腰なども揉んでもらえる。行き帰りを歩いていけば運動になるし、岩盤浴などで汗を出せばちっとは痩せもするだろう。・・・一石三丁だ。と早速休みの日に行き、一ヶ月パスポートも購入した。

実際には、一日にゲルマ温浴と岩盤浴のどちらかとブルブルマシンが使えるというものだった。ゲルマ温浴を20分やると6kmジョギングしたのと同じくらいの運動になるそうで、実際かなりの汗が出る。岩盤浴も一度やってみたが、汗の量は手足だけのゲルマ温浴のほうが多いようだ。

整骨院までの行き帰りをなるべく走るようにした。体があたたまっている状態でゲルマ温浴に入るとシャツが絞れるほどに汗が出るので、タオルと着替えを持って行き、温浴の後着替えるようにした。

首肩腰などを揉んでもらって気持ちいい。しかし、手首は良くなっている感じがしない。ここには5人くらいの先生がいて、手の空いた先生が治療してくれるが、技量にばらつきがあり、全く効いた気のしない日や、手首のことを忘れられ、首肩腰をもんで「はい、今日はこれで」と言われたこともあった。

11月末。手首の痛みは改善しない。週に1〜2回、計10回くらい通ったが、このままでは治らないと思い、パスポートの期限切れとともに、ここには行かなくなった。

ただ、走るのが妙に楽しくなっていた。走り始めた数日後からしばらくは膝の皿の下あたりがかなり痛んだ。せっかく整骨に通っているので、一緒に揉んでもらった。

痛いときにはあまり走らないように言われたが、ここで止めてしまうと、二度と走れなくなる気がしたので、聞かなかったことにした。我慢して走ったり歩いたりして、もうしばらく経つと、揉んでもらっていたおかげか、膝のまわりの筋肉が成長してきたか、違和感は残るものの痛みは薄らいでいった。

(続く)

2007年10月10日水曜日

検査と薬 〜 ド・ケルヴァンの続きのはなし(その1)

10月初旬。手首の腱鞘炎(ド・ケルヴァン症)らしき症状は一向に改善せず、どころか、だんだんと痛みを増してきている感があり、やはり一度医者に見てもらっておいたほうがいいかと、整形外科へ行ってみた。

会社近くに「内科・整形外科 9:30-12:30」の看板をみつけ、手早く昼食を済ませ、12:30直前に飛び込んだ。

一通りの事情を話すと、六十年配の医者は言った。
「じゃあ、まずは内科的な問題、たとえばリウマチなどがないか、それから外科的な問題、骨の異常などがないかを検査しましょう。まずおしっこ取ってきて」

検尿の後はレントゲン。痛いのは左手だけだが、「あぁ、右手との違いを見るから右手もね」と言っていろんな方向から6枚くらい撮った。

「あと血液検査するからこっちへ座って」と言う。「あの〜さっき思いっきりメシ食ったんですけど・・・」と聞くと、「まぁ、ええやろ」と言う。

診察室に戻るとレントゲン写真を前に医者は「尿検査は異常なし。レントゲンも見る限り、骨にキズがいってるとかの異常は見当たらない。今のところは『原因不明』やね。血液検査は2〜3日かかるからその時に。今日は痛みだけ取っとこか。」と言いながら、注射器を取り出し有無を言わさず手首にプスッ。

「あ〜、ちょっと痛い注射やけどすぐ済むからな」そういうことは、針を刺す前に言ってほしいものだ。それに原因不明なのに注射?何の注射?などと思いつつ、いててて。

「ちょっとしびれた感じになるけど30分くらいでおさまるから。薬と湿布出しとくから今日はこれで。」

5日後にもう一度行った。年配の医者はおらず四十前後の医者だった。面立ちが良く似ているので多分親子だろう。

「この前の血液検査の結果ですが、手首のほうは、リュウマチなどの病気で痛くなっているということはなさそうです。えっと、『原因不明』ということですね。ただ、中性脂肪とかコレステロールとか、γGTPとかいろいろ高くて、こっちのほうが少しいけないですねぇ。薬治療始めてもいいんですが、まぁ、まだお若いから食生活や運動など、自分でがんばってみられてもいいかと思います。どうします?」と聞かれた。

はっきりとは言わないが、完璧にメタボだということだろう。「えっと、自分でがんばってみようと思います。どうもすんません。」

「今日は手首の注射はどうします?」「あ、それも結構ですんで湿布と薬だけもらって帰ります。ありがとうございました。」と、ほぼ逃げ腰状態で帰った。あ、検査結果もらってくればよかった。

その5日後、薬がなくなったのと、検査結果をもらって自分で調べたいと思い、もう一度行った。年配のほうだった。もう一度血液検査の結果について説明された。医者はγGTPを指しながら、

「これは高いけど、他の肝臓の数値は正常なんでまぁ、間違いなく酒やな。

酒いうのは肝臓で分解するのに36時間かかるんですわ。たとえば、今日、久しぶりに友達と会って痛飲したとする。で、明くる日に、昨日はようけ飲んだから今日はちょっとだけにしとこと思て、ビールをちょっと飲む。これがいかん。36時間経ってへんから、肝臓は休むヒマがない。ずうっと働き続けなあかん。

今日、痛飲しても次の日一日飲まないでおくと、肝臓は休憩できる。その次の日はまた痛飲してもかまわんのです。要は少量でも毎日飲むっちゅうのがあかんいうことですわ。」

おぉ、そうやったんか、一日おきやったらたらふく飲んでもかまわんのや。そうかそうやったのか。と、この先生もかなり痛飲好きなのだと思いつつ感心した。

「それと、あれにこれにそれも高い。このまま放っておいたら動脈硬化とか心筋梗塞とかになる。運動と食生活改善せんとあかん。」

「へい、すんまへん、がんばります。じゃ、ありがとうございました。」と早々に切り上げようとしたのだが、

「あ〜、手首、注射しとこ。それから、もう一回血液検査。今度は動脈硬化の検査しとく。あと、平日か土曜日は休めるかな? 今度は休みの日に来なさい。朝10時くらいから検査するから。2時間くらいかかるからそのつもりで。」

また痛い注射をされ、血をとられて待合室に戻る。薬ができたと呼ばれて驚いた。高コレステロール、高脂血症などと書かれた薬5種類20日分が15センチくらいの厚みでどぉんと置かれていたのだった。

この医者には2度と行っていない。

(続く)

2007年9月30日日曜日

ド・ケルヴァン?

2007年。9月に入ってから、左手の親指側の手首が妙に痛い。

元来寝癖が悪く、手が体の下敷きになっていて、しびれて動かない状態で目覚めるなどということもよくあり、今回もきっとそんなことで、すぐに治るだろうと放っておいた。

しかし、2、3日が過ぎ、一週間になると、違う理由のようだと思わざるを得ない。文書などを作っているとき、よくショートカットキーでコピペやカット&ペーストをするのだが、Ctrlキーを小指で、x,c,vを人差し指で押さえた時やシフトを小指で人差し指や中指でキーを押す等のときに、大した痛みではないのだが、嫌な感じにズキッとする。その痛みが日毎に増してきているような気がしてきた。

最近一週間ほどは、アンメルツヨコヨコを塗ったり、湿布を貼ったりしたが、いっこうに改善しない。激しくタイピングするようなことはしていないのだが、どうやら腱鞘炎らしいと思い、調べてみた。

腱鞘炎の中でも、手首の親指側に起こるのものは「ド・ケルヴァン氏病」という、ちょっと怖そうな病名で診断されることが多いらしい。

あるページを見つけた。「親指を小指側に曲げる方向に力が加わると、患部に激痛が走る。典型的なド・ケルヴァン病の症状である。特定の角度に力が加わると箸を持っただけでも痛いが、その角度でなければ10kgでも20kgでも持ち上げられる。それだけに日常生活動作で突然「ビシィッ」と痛みが走ることがしばしばあり、精神衛生上大変よろしくない。」By トミーさん

とある。私の場合はこの人のような「激痛」ではなく、「妙に痛い」または「悔しく痛い」という程度だが、「角度によって痛い」のと「その角度でなければ10kgでも20kgでも」というのはその通りだ。

物を持つ分には重いものでも全く大丈夫なくせに、たとえば、本のページをめくる時に、本を支えている左手が妙に痛く、本を左手の甲にのせて読んでいる。

カバンのファスナーを開閉するとき、カバンを支えている左手が悔しく痛く、腕全体でカバンを押さえるというような、どうにも気持ちの悪いことになっている。


軽重の差はあれ、よく似た症状なら治療法も同じだろうと読み進めると、この人の場合は医者へ行っても一向に治らず、蜂の針を刺して治したという・・う〜〜ん・・・なかなかチャングムな解決方法を・・・

まぁ、ド・ケルバンであろうがなかろうが、腱鞘炎というのには特効薬はなく、「安静」「冷やす」「固定」がキモのようなので、昨日、テーピング用のテープを買って貼ってみた。

角度によって痛いということは、痛い方向に手首や指が曲がらないようにしてやればいいということだ。親指の根本から手首にかけてまっすぐに貼る。つっぱり感はあるが、いい感じだ。「妙に痛い」のは残るが「悔しく痛い」のはなくなった。

完全な固定ではないので、手は結構自由に動く。もう少し固定すれば「妙に痛い」のもなくなりそうだが、毛がたくさん生えているところに貼ると、はがす時に大変な思いをしなきゃならない。とりあえずはこれだけで様子を見ようと思う。

(続く?)

9/23追記
「悔しく痛い」というのがよくわからないというご意見をいただいた。「妙に痛い」のは、「あれれ、なんか痛いぞ痛いぞ」というくらいの痛さのことで、まぁ大した痛みではない。「悔しく痛い」のは、それよりはもう少し痛み度合いが強く、また突然の痛みという意味合いがあり、
「いっ! いてえなコノヤロバカヤロ」と言いたいが誰のせいでもなかったというくらいの痛みと悔しさ、あるいは、こうすれば痛くなるということはもう何回もの経験でわかっているのに、日常の無意識動作の中で「あ、痛!、くそう、またやってしまった」というような、やりばのない悔しさのある痛みということである。

2007年6月15日金曜日

タイプライター物語 (5)

(承前) 朝、6時くらいに目が覚めてしまった。大人気ないが、今日来るタイプライターを楽しみにしていた。

10時頃、クロネコヤマトのトラックが道路の向こう側に止まっているのが見えた。そわそわと落ち着かず、外に出たり部屋の窓から様子を見ていたが、運転手はどこに行ったか姿が見えない。

買い物から帰ってきた妻が、「何をバタバタしてるの?」と聞く。

「実は、あのヤマトのトラックに、ワタクシの荷物が載っているはずなのです。」

「何が届くの?」

「実は、・・・タイプライターを買ったのです。」

「どんな?」

「・・・それは秘密です。」

ようやくインターホンが鳴った。包装を解くと暗紫色の木のケースが出てきた。角は塗装が取れてベニヤの木肌が見えている。革の取手は一方が千切れている。ケースを開けると、昔のミシンのような懐かしい機械油の匂いがした。

ケースの裏蓋に、シールだろうか、いや、直接印刷したような文字がある。






PACIFIC STATIONAERS

1331 GARNET STREET

SANDIEGO CALIFORNIA

PHONE H8-2216

カリフォルニア州サンディエゴのガーネットストリート 1331番地 「パシフィック・ステーショナーズ」というのは販売店の名前だろう。このシールが保証書のような役割をすることもあったのだろう。壊れたらこのH8-2216に電話すればよい・・・。

食卓の上に置く。妻が言う。

Royal_portable_typewriter
「かわいいやん。」

「ええ感じやろ? でも中古は嫌なんちゃうの?」

「中古はイヤやけど、アンティークは好きよ」

「あ・・そう。」

「幾らやったん?」

「言えません。」

「5万円くらいした?」

「・・・それは秘密です。」


妻は学生時代に、顧問の先生目当てでタイプライタークラブ・・に入っていたので、タイプライターの使い方に詳しい。まずは動作の確認を兼ねて、彼女にタイプしてもらうことにした。

紙を入れてキーを叩く。リボンが乾いているとのことだったので、印字は薄いが、ペーパーロールもキャリッジもきっちりと動き(あのレバーは紙の位置を左端に戻すだけ(CR)だと、なんとなく思っていたのだが、改行も兼ねている(CR+LF)んだねぇ。)、動作にほぼ問題はなさそう。ん? インクリボンの位置が少しおかしく、ハンマーにうまく合っていないようだ。

リボンを押し上げるスライド部を何回か手で押し上げてリハビリをしてやると、インクリボンがきっちりと動作して、黒々とした文字で印字されるようになった。印字が薄かったのは、インクが乾いているわけでなく、インクリボンがうまくハンマー部と連動せず、ハンマーだけが紙に当たり、ハンマーについていたインクが紙に写っていただけということらしい。

いくつかのキーが、戻らない。1/2や1/4などの普段使わないキーだが、これもリハビリしてやれば元気を取り戻すだろう。

私もタイプしてみる。一年ほど前からスペイン語の勉強を始めていて、全く上達の兆しを見せないのだが、NHKのテキストを取り出し、昨年4月分からの文章を打ってみる。

Hora quetal ・・・ん? 「!」がない。この「c」に斜め線の入ったのか?、いや、これは「セント」かな・・・あれ? 数字の「1」もないぞ。・・・そうか。「l(エル)」で代用するのだ。合理的と言えば合理的な、大雑把と言えば大雑把な考え方だ。

タイプの音が心地よい。一文字一文字が紙に刻まれてゆく感じがいい。指の力がそのままダイレクトに文字の濃さになる。少し気を抜くと左手小指で打つ「a」などは、読めないくらいに薄くなってしまう。シフトキーを押すと「ガコン」とペーパーロール自体が持ち上がる。シフトって、そういうことなのだ。

この感覚はなんだろう。なんだか機械と人間が一緒に作業している、一緒にがんばってるという連帯感みたいなものを感じる。

紙が右端近くになると、「チン」とベルが鳴る。それでもまだ3文字くらいは打てるが、それ以上打とうとすると、キーがロックされる。最初は壊れたかと思ってドキッとしたが、そういう仕様になっているのだ。本当によくできているものだ。これだけの機能が、この70年前の小さな機械に詰まっていることに改めて驚いた。

さらに、この状態でも、左上端(PCの「ESC」の位置)にある「Margin Release」というキーを押すことで、自己責任でタイプを続けることができるということもわかった。なんともはや、「人間的な機械」じゃないか。

ふと、「喋るようにタイプする」という言葉を思い出した。それはたぶん、タイプライターというのは文字を手で書くよりも数段早く文章を作成することができるということを表したのだろうけれど、喋るのとタイプするのがシンクロするイメージは、たとえばタイプライターを打楽器として、歌詞をタイプしながらその歌を歌うというような、ロマンチック?なシーンを想像させる。

そんなことを考えながら、喋るようにとも歌うようにともいかないが、テキストを声に出して読みながらタイプしてみた。すると、不思議な感覚があった。単語を指が覚えていくのが実感できるのだ。これは、・・・いい。綴りを思い出すのに、指がキーの位置に動いた。もしかすると、これは最高の語学学習法かもしれない。

今、このタイプライターは、リビングの食卓の、私が座る定位置の横にある。ほとんど毎晩、スペイン語のテキストを読み上げながら、B5で1〜2枚ほどタイプする。家族には少々うるさがられている。

娘は、「私のために買ってくれたんやろ?」と言うが、それにはなんとも答えられずにいる。もう一台、娘のために、いや私のために買うべきだろうか。

(監)

タイプライター物語 (4)

(承前) 実用を考えるなら、アンティークではなく、「文字が打てる」というコメントのある不用品を選ぶのがよいと思った。新しいもののほうが、何かと便利な機能がついたり、進化して使い勝手も向上しているだろうし、ブラザー、オリベッティといったメーカーのものであれば、インクリボン等の消耗品や、修理部品なども手に入りやすいだろう。そして、デザインにこだわらなければ、高くても3千円くらいまでで手に入る。

一方でアンティークも捨てがたかった。古いものが好きなのだ。中学の時だったか、骨董屋で振り子の柱時計を買って部屋に置いていた。ゼンマイを巻くキリキリという音、コッチ、コッチという振り子、ボ〜ン、ボ〜ンという時報。眠れない夜などにそれらの音がわずらわしいと思う時もあったが、長く使った。

ずいぶんと考えたが、結局、アンティークに決めた。使っていて壊れてしまったり、使わなくなっても、置いておくだけで、部屋はいい雰囲気になるだろう。そして、もし、誰にも必要が無くなったときには、誰かにあげても喜んでもらえるだろうし、売るという選択肢もある。

選んだのは、Royal Portableという、1930年代に製造されたタイプライターだ。インクリボンが乾いて印字が薄いが、動作にはほぼ問題がないと書いてある。ただし、古い物なので実用よりは鑑賞用として考えてほしい。とも・・。

「概ね問題ございません」という、「概ね」に、一抹の不安を覚えたが、少々の不具合があっても、直せないことはないだろうと思った。

アンティークと決めて、もうひとつ、気になっているタイプライターがあった。Royal No.10というもので、これの製造は1910年代というから、もう百年近く前のものだが、完動するという。どちらにしようかとかなり悩んだ。

ROYAL NO.10 Typewriter
Royal No.10は、写真の通り、レジスターを思わせるような形で、いかにも古き良きアメリカといった堂々たる風情と、ごつごつとした「機械感」がいい。ShiftやBackSpaceキーのキートップがなんとも言えないアメリカ的な緑色で、そこも気に入ったのだが、いかんせん、一家庭に置くには大きく、重い感じがする。デスクトップパソコンと同じで、これを一旦置いたら、そうそう場所を動かすということもできないだろう。

一方、Royal Portableのほうは、姿形も可愛らしく、ノートパソコンのように、手軽に持ち運びができるコンパクトさや、「アヴァンギャルドな模様のレッドカラー」も気に入った。

他に入札はなかったので、終了日まで待って、最初の提示価格、19,800円で入札を行った。希望落札価格として24,000円が提示されていたが、まず誰も入札しないだろうと踏んだ。

オークションの終了はたぶん夜の10時くらいだったと思うが、翌日までそのまま放っておいた。落札できていればよし、できていなければあきらめて、Royal No.10を・・・と思っていた。

朝、メールを開くと落札の通知が入っていた。入金手続きをして、その旨を出品者にメールすると、10分ほど後に発送の通知が届いた。

すばらしいスピードだ。これで明日届く。休日なのでいろいろといじってみよう。

(続く)

タイプライター物語 (3)

(承前)いくつかリサイクルショップや骨董屋にも足を運んでみた。

リサイクルショップなら、ネットオークションで出ているような、10円100円というものはないにしても、1,000円や2,000円で、「頼むから誰か買って」状態のものや、倉庫の隅に転がっている掘り出し物があるかもしれず、もしあれば実物を動作させて購入できるのでそのほうがいいかと、三軒ほど回って聞いてみたが全滅だった。

Underwood_typewriter アンティークショップは二軒回った。
一軒で、埃にまみれたアンダーウッドを見つけた。結構よい感じだったが、いくつかのキーと、ペーパーロールも動かない。

年配の店主曰く、
「使わはるんでっか? 動きまっか? ワシら、これらは動かすもんやのうて置物(おきもん)として仕入れますからなぁ。気に入ってくれたんならサンゴ(3万5千円)と言いたいところやが、サン(3万円)でどうでっか?」とのことだった。







Olivetti_typewriter_lettera
「タイプライターやったら、ここにもひとつおますけど」と店主が指差したのは、山高帽の箱の下に隠れていたオリベッティのものだった。「こっちはちょっとキーがよう戻らんのやけど、油がねばってるだけなんで、きれいに油差したら使えると思いまっせ、これやったら8千円でよろしいわ。」








Remington_typewriter
もう一軒のアンティークショップで、レミントンのものを見つけた。これもいくつか戻らないキーがあるが、比較的きれいで、少しメンテナンスしてやればなんとか使えそうだったが、若い店員がやる気なさそうだったので、声をかけなかった。2万6千円の値札が貼られていた。

ようし。だいたいわかった。市場には、もう実用的なタイプライターというものは、存在しないのだ。せっかくいろいろと調べたからまとめておくか。




《タイプライター市場についての考察》

2007年6月における手動式タイプライターの入手方法について調査を行い、下記の結論を得た。

《結論》 業務での利用、あるいは調整された完動品を求めるのであれば、下記1)の都市圏にいくつかあるタイプライター取扱企業に依頼するのがよいだろう。趣味的な利用であるなら、売り手の顔が見えないことや、可動確認などいくつかの危惧はあるものの、4)のネットオークションでの入手が適当であろうと思われる。

1) メーカー、専門店
2007年6月現在、ブラザー工業で、現行商品としての販売が確認できたほか、東京、横浜、大阪などで、新製品および中古品の販売、修理、メンテナンスを行う企業が確認できた。インクリボン等の販売や出張修理なども行っており、タイプライターのニーズがわずかながら存在することがわかる。
ブラザー(メーカー・販売)
ひかり事務機(東京)

尾河商会(横浜)

フォーテック ビジネスマシンサービス(大阪)

2) リサイクル市場
リサイクルショップなど、流通一般市場においては、既に商品価値やニーズがなく、見つけることは非常に難しい。かなりの偶然性や趣味性の高いショップでなければ、入手は難しいものと思われる。

3) アンティーク市場
1900年代初頭から第二次世界大戦の終結(1940年代)あたりまでに製作されたタイプライターは、現在、芸術作品あるいは、アンティークディスプレイとして位置づけられ、2万円〜4万円程度を相場として、一般市場においても、わずかに流通している。しかし、その価値は骨董品としての色形や雰囲気に対するものであり、本来の機能であるタイピングの可、不可によって、その価値(価格)が変動するものではない。

4) 個人売買、フリーマーケット
休日に開催されているフリーマーケットなど、個人での売買市場では、不用品として流通する可能性はあるが、開催地まで出かけても必ず見つかるというものではなく、見つけたとしても種類や性能の点で満足できるタイプライターが手に入る確率は低いだろう。選択肢の多さで言えばネット上のフリーマーケットである、ネットオークションなどを利用するのがよいだろう。

さて、問題は不用品にするか、アンティークにするか。10円か3万円か。ここが悩みどころだ。

(続く)

タイプライター物語 (2)

(承前) 娘に万年筆をプレゼントしようと思っていた。大学に入ったら、シャーペンやボールペンでなく、万年筆を使え。と渡してやりたかった。

そう高いものでなくていいと1〜2万円見当で探したが、カタログや実物を見ても、どうもペン先やデザインが気に入らず、3万、5万円、あるいは10万円以上の姿のよいものに目移りがしてしまう。

そして、それくらいのものなら娘にあげるより、自分で使いたい・・私のモンブランは壊れてしまったからなぁ・・と、本末転倒なことを考えてしまった。

結局、買わず、他にプレゼントもせずに今日まできたのだが、彼女がパソコンを使って英語で文章を書いたり、プリントアウトしているのを見ているうちに、そういう課題や宿題が多いなら、万年筆でなく、タイプライターはどうだろうか、と思いついた。

早速、調べてみた。ブラザーなどではまだ新製品として発売しているようだ。しかし、


ブラザー EX-630
希望小売価格 ¥231,000
通常価格 ¥197,400
『タイピングしながら文書チェックができる2行40桁の液晶ディスプレイを搭載しています。英文ワープロ並みの編集機能です。さらにフロッピーディスクドライブ内蔵モデルです。』

というのはどうなのだろう、パソコンとプリンタ合わせても安ければ5〜6万円で手に入ろうかという時代に、こういう20万円もするタイプライターを買わなきゃいけない理由が、私にはよくわからない。

そしてそんな高価な、しかも電気で動くタイプライターを買うつもりは毛頭ないので、ここには用はなかった。



現役でタイプライターのメンテナンス、修理や販売を行っている会社もいくつか見つけた。横浜の「尾河商会」、東京は神田岩本町の「ひかり事務機」、大阪は南堀江に「フォーテック ビジネスマシンサービス」という会社があるようだ。

特に尾河商会さんは、

「ホームページに記載されているインクリボンの多くは純正品ですが、インクリボンは他機種のものを流用できる場合がございます。


当社独自のマトリクス表と照合して、お客様のタイプライターにあったインクリボンをお探しします。

仮に、お客様のタイプライターに適合するリボンが見つからなくても、当社までリール等をお送り頂ければ、巻き返してお送り出来る場合もございます。

と、かなりの自信と誇りを持って商売されている会社のようで、説明や記述が非常に頼もしい。ここで購入できればよかったのだが、中古在庫は切れているようだった。本体を入手してもいないが、とりあえずインクリボンを注文する時にはここに頼もうと決めた。

手動式の新品は見当たらなかった。古い物でもいいと、ヤフオクに出品されているものをざっと眺めてみたが、この市場は、ほぼ二極化された世界になっていた。

いわゆるアンティークな置物として、「飾って愛でましょう」というものと、押入れを整理していたら出てきたけど、誰も使わないし、使い方もわからないから、「必要な人はどうぞ」というタイプのものだ。

前者は、動かない、あるいは動くかもしれないが、保証はできない、インクリボンが乾いていて印字できない、というものがほとんどで、価格は2万円弱から3万5千円くらいだ。

後者は、一応動作しているが保証はできない、使い方がわからないので未チェック、ジャンク品として購入いただける方、という感じの出品が多く、価格は10円、100円から高くても5千円程度までだった。

アンティークと不用品両方からめぼしいものを「ウォッチリスト」に入れ、1週間ほど回してみることにした。

思ったほど動かない。半数以上は一件も入札がなく開催期間が終了し、また出品されるということが繰り返される。タイプライター自体のニーズが少ないのだろう。

(続く)

タイプライター物語 (1)

娘が、パソコンで英文を書いている。

生徒同士がペアになり、お互いに今までの生活の中で印象深かった出来事についてインタビューをし、それを英文でまとめる課題だと言う。

印刷したものを見せてもらって、ふと、今は宿題にコンピューターを使うのだなぁと思った。

私の時代は、すべて手書きだった。原稿用紙何枚以上何枚以内でこれこれについて書け。などという課題をやるとき、鉛筆やボールペンを使わず、太軸の万年筆で「さらさらと書く」ことに、変なプライドのようなものがあったように思う。

手書きで文章を書くというのは、かなり面倒で、しんどいことだった。プロット、下書き、清書と、何回も書いては組み替える。

私は字が下手で、下書きなどは特にキタナイ。下書きだから、他人が読めないのはまぁ、いいとして、自分でも読めないという情けないこともあった。いや、正直、今でも、急いでメモしたようなものは後から読めないことが往々にして、ある。

そんな苦労のあとで、やっと完成したと思って読み返してみると、同じことを何度も書いていたり、下書きから移す時に、ひと段落分抜け落ちてしまっていたり、意味が通らなくなっていて、最初からやり直しということもよくあった。

パソコンの黎明期からその魅力に惹かれ、20年以上もその進化とともに暮らしてきたが、パソコンの何がいいのかと聞かれたら、私は、「文字を書かなくていいこと」だと答える。

パソコンを使って文章を作っていくのは、手書きに比べると、百倍も便利だ。間違った文字は、消しゴムやホワイトを使わなくてもバックスペースで消える。文章や段落の組み換えも一瞬でできる。誤字脱字がないか、語尾表現は統一されているか、などの校正までやってくれるようになった。

こういうのが私の学生時代にあったら、私は間違いなく授業のノートをとるのにノートパソコンやPDAなどで入力していたに違いない。たぶん、そういうことが普通になる時代になってきている、いや、もうそうなっているのかもしれない。

ただ、筆記具として、ワープロやパソコンが普及していくのとともに、読むのがイヤになるような質の悪い小説や、テレビドラマのストーリーやセリフ回しの稚拙さ、新聞や雑誌などでも、もう少しうまく書けないのかという雑然とした記事などが目につくようになってきたような気がするのだ。

便利になるということは、本当に、人間にとっていいことなんだろうか。パソコンで文書を作るようになって、漢字を書けなくなった。頭にはぼやっと浮かぶが、手が憶えていないのだろう。物が憶えられなくなった。人の名前が出てこない。これはトシのせいか?

(続く)

2007年5月11日金曜日

ミニカーに乗って(3)

Harleydavidson
(承前)そんなある日、ピザ屋さんなどがよく乗っている3輪のバイク(ホンダのジャイロXやジャイロキャノピーというやつだ)ばかりを並べている店を見つけた。店主に聞いてみると、ミニカー登録なら整備込みでやってくれるという。価格もゴリラを改造するよりかなり安い。

バイクや車の販売店、特に中古車の販売店は、ごつごつとした感じの店員や店主が多いのだが、ここの店主は物腰もやわらかく、たまたまきていた60年配の常連?客が「この大将に任しといたらまぁ間違いおまへん」というようなことを言うもので、こういうのが「縁」なのだろうと思い、これに決めることにした。

この型のバイクは、商売に使うのが主で、私のように趣味的に買うのはめずらしいのかと思ったが、そうでもなく結構需要があるらしい。また、ミニカー登録についても、個人だけでなく企業からの依頼も多くなってきているということだった。ただ、検査対象外軽自動車の登録はやったことがないというので、とりあえずはエンジンもいじらず、ミニカーで登録してもらうことにした。

一週間後、ようやく手続きと整備が終わった旨の連絡がきた。会社帰りにバイク屋に寄り、乗って帰る。親父さんにヘルメットをもらったが、これは腰にぶら下げた。冬の寒い時に、防寒具代わりにかぶるとしよう。

3輪というのは初めて乗ったが、カーブの取り回しにクセがある。バイク自体に10年以上乗ってなかったからかもしれないが、カーブで車体を倒していく感覚を、2輪よりも深くしないと、うまく曲がれないような感じがする。昔から右カーブは不得意だったのだが、堺から310号線に抜けるトンネルが下り坂の右カーブになっており、ごきげんで突っ込んでいったものの、危うくガードレールにぶつかるところだった。あぁ恐かった。

もうひとつ、不満というほどでもないのだが、ミニカーにするために後ろのタイヤ幅を広げたことで、タイヤが泥除けからはみ出しており、発進時や方向転換のために足で車体を支えたときに、靴をタイヤにとられそうになる。普段はいいが、とっさの時にはちとヤバイ気がする。何かいいカバーがあればいいと思って探してはいるのだが、今のところは整備より、乗っているほうが楽しいのでそのままにしている。どなたかいいアイデアがあれば教授いただきたい。

さて、これを乗り始めて一月くらい経っている。休みの日が雨だったり用事があったりで、なかなか思うようには乗れないのだが、乗れる日はとりあえず山方面に向かう。山を少し走ると、まだ鶯が鳴いていたり、風がスッと冷たくなったり、川の流れている音が聞こえたりと、車ではなかなか感じられない趣があり、たいへんよろしい。

ただ、悲しいかなパワーがない。坂道になるとウンウンとがんばってはいるようだが、なかなか道がはかどらない。もう少しパワーが出ないか、ジャイロをキーワードにインターネットを探ってみた。50ccのままでも結構早くできるようだし、ボアアップして2人乗りにしたり、改造しまくって原型がわからないようなマシンにしている人も多いようだ。バイク店の親父さんに相談してみようか、この人たちに教えてもらいながら自分でがんばってみようか。
「俺にいじらせろ!!」というメカニックマニアが出てきてくれるようならどのようにいじってくれてもいいのだが。

(監)

ミニカーに乗って(2)

三輪トライク

(承前) 何かいい方法ははないかと思って、インターネットを探っていたら、3輪のモンキーを見つけた。制限速度60km、ノーヘルOKなどと書いてある。


ビビッときた。50cc以下の原動機付き自転車を3輪に改造してミニカーとして登録すると、道交法上では「車」に分類されるのだという。運転には普通免許が必要だが、原チャリのうっとうしい法規、時速30km制限や2段階右折も、ヘルメットも必要ないという。

まぁ、車だから当然と言えば当然だが、これはなかなかいい話だと思った。昔、ホンダシャーリーに乗っていた頃は、ヘルメットなんていらなかった。そうそう、髪はぐちゃぐちゃになるが、ノーヘルで走るときのあの風は気持ちがいいのだ。特に夏はね。

ん? ちょっと待て。50cc以下でミニカーなら、それ以上ならどうなるのだ?と、もう少し調べた。いやいや、法律というのはなかなかよく出来ている。250ccまでなら、検査対象外軽自動車登録という手があるようだ。この登録をすれば、文字通り車検の必要はないし、道交法では軽自動車なので、ノーヘルOK、2人乗りもOK、高速道路の通行も可能になる。排気量がそれ以上なら車検が必要になるが、普通免許で運転できるのは変わらない。おまけに、税法上はバイクなので税金は格段に安い。

ということは、金さえあれば、大型バイク免許をとることなく、ハーレーでどるどると走ることが今すぐにでも可能だというわけだ。すばらしいではないか。ま、「金さえあれば」という条件が、実際には一番厳しかったりするのだが・・・。

高速道路も二人乗りもノーヘルもOKならと、250ccくらいの3輪を探してみたが、もっと排気量が大きく、とんでもなくかっこいいが、とんでもなく高い輸入車しか見つからなかった。市場がまだまだ形成されてないのだろうなぁ。

モンキーやゴリラを3輪にするのはキットが販売されているようだが、それだけで10万円ほどする。例の銀メタの中古ゴリラに決めたとして、自分で改造しても合計30万円。う〜ん、どっちにしても30万は覚悟しなきゃいけないのかなぁ・・・

(続く)

2007年5月1日火曜日

ミニカーに乗って(1)

バイクのゴリラの画像を貼ろうと思ったけど、芸がないのでこっち最近、どこかに行くのに車を使うのが億劫になった。車で走っていると、ちょっと気になるところがあっても、駐車スペースがなかったり、それが反対車線だったりすると、車を止めたりUターンするのも結構面倒で、ちょこっと気軽に乗って走れるバイクが無性に欲しくなった。


男なら、一度はハーレーダビッドソンにまたがって、どこまでもまっすぐに続く道を、どるどると走りたいと思うものだが、私は小型免許も持ってないので、ハーレーどころか最近よくみかけるようになったビッグスクーターにも乗れない。


要するにバイクと言っても選択肢は原チャリのみ。スクーターか、モンキー、ゴリラのようなものになる。


バイク店をいくつか回ってみた。スクーターなら新品でも諸費用込みで10万円くらい。中古なら3万円くらいからあるようだ。モンキーやゴリラは中古でも15〜20万円くらいするが、自分なりのカスタマイズやセッティングをすれば愛着もわいて来るし、悪くなった部品を結構簡単に取り替えていくこともできるので、いつまでも乗れる。どうせならスクーターでなくこういうバイクのほうがよいだろうと思った。


いろんな店を見て回るうちに、金メッキのモンキーや銀メッキのゴリラを見つけた。モンキーの値段を聞いたが、店主は売り物じゃないのだと言った。そうか、もうこういうものは骨董扱いになっているのだなぁ。メッキのゴリラの方は数があるのか、結構あちこちで見かけた。形的にはモンキーよりもゴリラのほうが好きだし、キラキラと光るデカタンクがすごく綺麗だ。


コレクションも兼ねてこれにするかと思ったが、どうも、この小さな車体に踏ん切りがつかない。昔、この小さなバイクにでっかいゴリラが乗っているイラストのようなポスターがあったと記憶するのだが、私が乗ったらほぼそのポスターの通りになってしまう。娘などに、「かわいそうやから乗らんといたって」などと言われ、結局、乗っ取られてしまうのが目に見えるようだ。


じゃあマグナフィフティならどうかというと、チョッパーハンドルで、前輪をかなり前に出した改造をしているものを見つけて、やっぱりアメリカンバイクっていうのは、かっこいいなぁと思ったのだが、たかが原チャリのくせにいきがってんじゃねぇというような声も、自分の中から聞こえてくるのだ。


50ccで乗りたいバイクがないのなら、大きなバイクに乗れるようになるしかない。それに小型や中型のバイクも、中古なら価格的にはゴリラやマグナとさほど変わらない。


真剣に免許をとろうと思った。免許試験場への飛び込みでもいけないことはないだろうが、試験に落ちるということは結構精神的なダメージが大きいので、何回か落ちているうちに気持ちが萎えてしまうような気がしてしょうがない。教習所に通うほうが無難だろうと、聞いてみた。車の免許を持っているなら、10万円くらいで講習を受け、卒業検定に通ればよく、ペーパー試験などもいらないという。バイク20万〜30万、教習所10万・・・う〜ん、30から40・・かぁ・・・。


(続く)
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