2008年7月31日木曜日

ようやくBSアンテナをつけ、天王洲ウォーターラインの歓送迎会に上機嫌

チャリです。

今日は7月31日。カントクは昼頃に東京に到着して、浅草松屋のベスト電器で、ベランダの分厚い壁を挟んで設置できるBSアンテナの部材を買ってきた。

ただ、六角のネジで締め付けるようになっているので、カントクは一旦部屋にこの部材を置き、里見にモンキーレンチを買いに行った。「あぁ、自転車があればなぁ」とカントクはきっと思ったはずだ。

帰りに雷門の南側にあるスーパーオオゼキで、お茶や水、カレーパン、おかきなんかも買って帰る。

夕方からは、品川のウォーターライン天王洲という、川に係留された船のようなラウンジで、歓送迎会が行われた。

川風と船端を叩く水音が気持ちよく、7月の末日というのにさほど暑さを感じない。屋形船が提灯をつけて、近く遠く行き交っている。

送られる人が2人、迎えられる人がカントク含め4人だったかな、
「まぁ、豪華な歓送迎会だった。若くて勢いのある会社なのだなあ」 とカントクはしきりに感心していた。

カントクが前の会社を退職する時、同僚や他部署の人たちも個別に送る会をやってくれたが、部署として正式な会や、皆の前できちんと挨拶をする機会もなかったのだという。

ただ、古い会社というのは、社員を家族のように育て、慈しむ反面、辞めるという人をある意味「裏切り者」と見る向きがあるということで、

「そのあたりはイマドキの若いモンにはわからんやろけどな、まぁそれが古い体質の会社のええとこでもあり、悪いとこでもある言うこっちゃ」と、カントクは少し寂しそうに言ったのでした。

今日は2008年7月31日 カントクと出会うまであと、2日。

2008年7月28日月曜日

麻婆豆腐を生まれて初めて作ったカントク、大阪への土産に神谷バーで電気ブランとかぶどう酒、梅酒を買っていたよ

チャリです。

7月27日。カントクは今日も買い物に行った。

山形はえぬき(米)、マーボー豆腐の素、牛ひき肉、豆腐。

これも重かっただろうなぁ。米だけで5Kgあるもんね。

どうやら、今日は大好きな麻婆豆腐を作ろらしい。

生まれてから今まで、ラーメン以外の食べ物を作ったことがないと言ってもいいカントク。作り方を見ながら、なんとかできたようだ。

いや、それどころか、自分は料理の才能があると思ったくらいの出来栄えだったようだ。ビールやデンキブランを飲みながら、一人でうまいうまいと言いながら食べたそうだ。


7月28日 朝から神谷バーの店先で、ぶどう酒や梅酒、デンキブランなどを買って、大阪に帰ってしまった。梅酒がすこぶるうまかったので、大阪への土産にするのだそうだ。重いのにね。

31日に、今度入る会社の歓送迎会っていうのがあるらしいので、その日まで大阪で過ごすのだと言う。

あ~あ。 今日は2008年7月28日 カントクと出会うまで、あと・・・5日くらいかな?

2008年7月26日土曜日

隅田川の花火の尻尾の先まで見えたんだよ。

チャリです。

結局カントクが買ったのは、ドライバー、カッターナイフ、座椅子、カーテン  130、カーテン 190x2、風呂イス、クレラップ、水切り、アイロン台、電気ブラン、電気ブラングラス、ビール、パン、納豆、お茶、水、サケフレーク、HDMIケーブル。

カーテンをとりつけ、洗濯機や冷蔵庫の設置をし、DVDとテレビを繋いで、なんだかようやく人心地がついたんだと、カントクは言う。

そりゃそうだ。昨日はカーテン代わりにダンボールを窓に張って寝てて、夜中にベリベリズルルンなんてダンボールがずり落ちたりしたっていうんだからね。

まだメモに書いてあって買わなきゃいけないものは残ってるんだけれど、エアコンと扇風機を最強で回して、カエルがひっくり返ったみたいな格好で、「もう今日はこれくらいでかんべんしといたろ」なんて言ってる。よっぽど疲れたんだろう。

今日は隅田川の花火大会。会社の人たちが何人か料理と酒を持って集まってくれるという。

今日は2008年7月26日 カントクと出会うまで、やっぱり一週間くらい。

隅田川の花火

Hanabidsc00440jpg (承前) 半分破れかけたスーパーの買い物袋を抱えるように持ち、大汗をかいて部屋に戻ってきた。

まだ昼前なのに、部屋から見える吾妻橋の上には、もう人だかりができており、ケイサツの人かケイビの人かわからないけれど、「橋の上では立ち止まって見ることはできません」などというアナウンスを繰り返している。

三十分ほどエアコンと扇風機をどちらも最強にぶん回して、その前でカエルがひっくり返ったような格好をしていたのだけれど、さっき、道を教えてもらった酒屋に行ってお礼がてら、缶ビールを1ダース、お茶と水、2リットルのを2本ずつ、氷2袋を買って帰った。

今日は、愛や恋や姫などが、酒と料理を持って来てくれるとのことで、緊張して待っていたのだけれど、結局花火が始まる頃までに、むぎとろに到着できたのは、愛だけだった。

私はずっと部屋にいたのでわからなかったのだけれど、この隅田川の花火の日は、人も車も規制がひかれるようで、恋が焼酎とホッピーなどを持って到着したのは、花火が始まってから一時間も経過し、愛が窓から身を乗り出して、「ブラボー!」なんて叫んでいるころ、そして、姫が重そうな料理を持って到着したのは、花火が終わってからずいぶん経ったあとだった。

「こっちに家があるのよって言ってるのに、ぜんぜん通してくれないのよ!。大混雑の人ごみの中、浅草を一回り歩いてきたわよ。」

と姫は汗を拭きながら、プンプン怒っていた。みなさん、ありがとう。ごちそうさまでした。

(監)

浅草ひとり(6)

(承前) 雑貨、家具、インテリア、家電、つ・・壺、皮の破れた三味線(値札ついてる・・)、二階への階段への踊り場には、し、鹿の剥製壁掛けなどがところ狭しと並んでおり、想像以上にあやしい。

二階は家電、水道用品など、三階に工具などと並んでカーペットやカーテンなどもあった。が、店の中のものに関してはディスカウントショップというには相対的に高い感じだった。

とりあえずはドライバーとカッターナイフを買い、ライフに向かう。暑い・・・。

ライフでカーテンを見ていたが、遮光でもなんでもない厚手のカーテンが130mm丈で2,780円、190mmが3,580円。

大きい窓のほうは185mmというところだけれど、ないのであればしょうがない。190mmはもう一組必要なので、これだけでほぼ一万円になる。

カーテンの相場を知らない、というか、こういうものにピンからキリまであるのはわかっていても、コストパフォーマンスが自分で納得できないまま購入するのは、なんだかイヤな気分だった。

ただ、「里見」で見たカーテンとたぶん同等くらいのもので、少しこちらのほうが安い感じはあったのと、とにかく夏の盛りのことで、うろうろと歩きたくない気分。何より他にあてもないのでここで買うことに決めた。

フロのイス、クレラップ、食器の水きり、あ、チラシ掲載の品、アイロン台 1,000円とある。これも買っとこう。あと、このイ草の座椅子も・・・。

結局一万七千円余りを支払い、大荷物になった買い物袋を抱え、荷物の重さに閉口しながら、浅草の街をひとり、ゆっくりと歩きだした。

(監)

浅草ひとり(5)

(承前) 浅草の「里美」は、どうにもアヤシイ店だった。アヤシイというのは、怪しいではなく、妖しいと書く。

こういう店を見ると、私は無性にうれしくなる。

もう30年以上も前になるか、家から自転車で10分くらいのところに、「MON モン」というディスカウントショップがあった。

この店の駐車場には、グライダーが置いてあった。模型ではない本物だ。そう大きなものでもないが、両翼で10mほどもあっただろうか。それもディスプレイとして置かれていたのではなく、商品として展示されていたのだった。

百万円に近い数十万円代の値がつけられていたと思うが、私の知る限り10年以上雨ざらし、とんでもなく汚いシロモノで、こんなものを買う奴は絶対にいないだろうとずっと思っていたが、同時に、そういうものを展示しているということに、なんだか妙に妖しい魅力を感じていた。

店の中にも、最新家電製品があると思えば、ガラクタとしか言いようのないものが多数あり、中でも漆が剥げてなければ高級品だったろうと思える戸棚や、弦の錆び付いた大正琴が並んでいるエリアなどは、特に妖しかった。

何が置いてあるのか予測できない、何故こんなものが置いてあるのかわからない。そういう妖しさは、今思えば、民族博物館とか、保存された古民家を訪ねたのと同じような感覚なのかもしれない。

などというような感傷にひたっている場合ではなかった。もう、今日はダンボールカーテンはごめんだ。フロイスも買って、お、自転車もあるな。こういう折りたたみ自転車も買って(ドキドキ)、ん? なぜどきどきする? とにかく今日は落ち着いてゆっくりと過ごせる環境に一歩でも近づけなければいけない。

絶対に今日そろえなければいけないのは、ドライバーとモンキーレンチ、カーテンとフロのイスだ。

間違いなくこの店に工具はある。私は確信を持って店の中に入っていった。

(続く)

カントク 浅草で生活必需品を買う

チャリです。

マンションから歩いて10mほどのところに酒屋がある。今日は隅田川の花火大会が開かれるとのことで、酒屋の前では屋台が張られていた。

「知らない街で道を聞くのは、酒屋に限る。」

とカントクは言う。道や建物をよく知っている、お礼に酒を買えば相手も喜ぶ、特にこういう小さな酒屋と仲良くなっておくと、何かと割引などもしてくれるはずだ。などと言っているが、単に警察がキライなだけじゃ・・・イテッ。

カントクは屋台の準備をしている酒屋のおかみらしい人に声をかける。

「あ~と、おはようございま~す。」

こういうときの愛想はいい。おかみさんが答える。

「おはようございます。」
「私、昨日、大阪から、そこのむぎとろに引越してきまして、単身赴任で、はい、これからよろしくおねがいします。」
「あぁ、そうですか。まぁ、一人で。こちらこそよろしく。」

今日は花火なんですよねぇなとどいう話を少ししたあと、要件を切り出す。

「すみませんが、ちょっと教えていただきたいんですけど」
「はい?」
「このあたりに工具やカーテンなんかを売っているホームセンターのようなところはないでしょうか?」
「う~ん、ホームセンターはないねぇ。工具やカーテンねぇ・・・。サトミかライフかなぁ。」

「あ、フロのイスなんかもありますか。台所、洗濯用品なんかも」
「うん、ライフならそういうのもあったと思う。歩いていくんだよねぇ。少し遠いけど、(店の奥へ)ちょっとぉ、サトミとライフまでの地図書いてあげて。」

旦那さんらしい人が、地図を書いてくれた。

「どれくらいで歩けます?」
「サトミまで10分くらい、ライフまで20分くらいかなぁ。自転車がありゃあすぐなんだけどねぇ。」

「ありがとうございました。また来ます。」
と地図をもらって歩き出した。

雷門から2本ほど南の道を、西に真っ直ぐ抜けたところに「里美」というディスカウントショップはあった。

この店の佇まいを見て、カントクはにっこりとした。カントクの好きなタイプの店らしい。

表にカバンやトランク、イスや物入れ、スリッパ、靴下などいろいろな品物がところ狭しと並んでいる。店の外がそうなんだから、中は推して知るべしだ。あ、自転車も並んでいる(ドキドキ)。

早速カントクは、緑色の折りたたみ自転車のハンドルに手をかけた。

ふう。ちょっと休憩。

今日は2008年7月26日 ボクがカントクと出逢うまで、やっぱりあと一週間?・・くらい?。

(続く)

浅草ひとり(4)

マンションから歩いて10mほどのところに酒屋がある。今日は隅田川の花火大会が開かれるとのことで、酒屋の前では屋台が張られていた。

 知らない街で道を聞くのは、酒屋に限る。道や建物をよく知っている、お礼に酒を買えば相手も喜ぶ、特にこういう小さな酒屋と仲良くなっておくと、何かと割引などもしてくれるはずだ。

 屋台の準備をしている酒屋のおかみらしい人に声をかけた。

「あ~と、おはようございま~す。」

  おかみさんが答える。

「おはようございます。」

「私、昨日、大阪から、そこに引越してきまして、単身赴任で、はい、これからよろしくおねがいします。」

「あぁ、そうですか。まぁ、一人で。こちらこそよろしく。」

今日は花火なんですよねぇなとどいう話を少ししたあと、要件を切り出す。

「すみませんが、ちょっと教えていただきたいんですけど」

「はい?」

「このあたりに工具やカーテンなんかを売っているホームセンターのようなところはないでしょうか?」

「う~ん、ホームセンターはないねぇ。工具やカーテンねぇ・・・。サトミかライフかなぁ。」

「あ、フロのイスなんかもありますか。台所、洗濯用品なんかも」

「うん、ライフならそういうのもあったと思う。歩いていくんだよねぇ。少し遠いけど、(店の奥へ)ちょっとぉ、サトミとライフまでの地図書いてあげて。」

旦那さんらしい人が、地図を書いてくれた。

「どれくらいで歩けます?」

「サトミまで10分くらい、ライフまで20分くらいかなぁ。自転車がありゃあすぐなんだけどねぇ。」

「ありがとうございました。また来ます。」

と地図をもらって歩き出した。

雷門から2本ほど南の道を、西に真っ直ぐ抜けたところに「里美」というディスカウントショップはあった。

(続く)

浅草のワンルームで生涯初の一人暮らし最初の夜を過ごしたカントク

チャリです。

今日は7月26日。カントクは生まれて初めての一人暮らしの夜を過ごし、ダンボールカーテンの隙間から差し込む光で目をさました。

机代わりのコタツも昨日は届かなかったので、ラーメンを作ってフローリングの床で食べたのだと言います。

昨日は、ドライバーやレンチなど、自宅にならどこにでもゴロゴロと転がっている工具がなく、何かをしようとするたびに

「あ、ドライバーがなかったんや、何でそんなもんがないねんこの家は。あぁ、メガネもモンキーも無いんかいなこの家は。ほんまにしゃぁない家やなぁ。」

と、何だか家が悪いような独り言を言っていて、

今日は朝から、昨日足りないと思ったものを書き出したメモを持って、カントクは街に出た。パソコンはあるのだけど、インターネット環境がないので、街のどこに何があるのか調べることもできず、東京どころかこのあたりの地図さえ、カントクは持っていなかった。

「インターネットのクチがないがなこの家は。無線LANかな?繋がらんけどなぁ。」

などと言っているところを見ると、どうやらカントクはこのマンションのインターネットは個別契約しないと使えないことを知らないようだ。

メモには、ドライバー、モンキーレンチ、アンテナ取り付け具、カーテン、フロのイス、ハサミ、ガムテープ、洗濯カゴ、物干し竿、座椅子、食い物、などと並んで、折りたたみ自転車というのも書いてあった。ドキドキ。

マンションには自転車置き場がなく、自転車を買っても、小さなエレベーターに乗せて部屋の前に置いておくしかなかった。エレベーターに入るサイズの自転車は、多分折りたたみしかないだろうというのがカントクの考えだった。ま、だれでもそう考えるだろうけどね。

今日は2008年7月26日 ボクがカントクと出逢うまで、あと一週間・・くらい?。

浅草ひとり(3)

7月26日。生まれて初めての一人暮らしの夜を過ごし、ダンボールカーテンの隙間から差し込む光で目をさました。

机代わりのコタツも昨日は届かなかったので、ラーメンを作ってフローリングの床で食べた。

昨日は、ドライバーやレンチなど、自宅にならどこにでもゴロゴロと転がっている工具がなく、何かをしようとするたびに

「あ、ドライバーがなかったんや、何でそんなもんがないねんこの家は。あぁ、メガネもモンキーも無いんかいなこの家は。ほんまにしゃぁないやっちゃなぁ。」

と、何もかもが足りない不満を漏らしていた。

今日は朝から、昨日足りないと思ったものを書き出したメモを持って、街に出た。パソコンはあるのだけど、インターネット環境がないので、街のどこに何があるのか調べることもできず、東京どころかこのあたりの地図さえ持っていなかった。

インターネットのクチがないがなこの家は。無線LANかな?繋がらんけどなぁ。などと思っていたが、あとでマンションの管理会社に聞いたところでは、光の線は入っているものの、個別契約しないと使えないとのことだった。

メモには、ドライバー、モンキーレンチ、アンテナ取り付け具、カーテン、フロのイス、ハサミ、ガムテープ、洗濯カゴ、物干し竿、座椅子、食い物、折りたたみ自転車など、不自由を感じたものを思いつくままに書いていた。

特に自転車は必需品だと思った。マンションには自転車置き場がなく、自転車を買っても、小さなエレベーターに乗せて部屋の前に置いておくしかなかいので、折りたたみ式のものを買うつもりだった。でも、これらがどこに売ってるのか、見当もつかなかった。

(続く)

2008年7月25日金曜日

浅草ひとり(2)

(承前) 荷物が揃ったのは、夕方。5時を回っていただろうか。

とにかく今日のうちに少しでも片付けておこうと、洗濯機、冷蔵庫といった大物から梱包を解き、設置していった。このあたりは得意分野だが、洗濯機の設置でいきなり行き詰ってしまった。

真下排水のキットが必要だ。それに、ドライバーがない。真下排水は、洗濯機自体が排水パンよりも少し小さいので、横から回してもなんとかなりそうだったが、裏蓋をはずして排水ホースを逆につけかえなければならない。ドライバーがないのは致命的だった。

冷蔵庫も、設置はできるがアースを取り付けようとすると、どうしてもドライバーは必要だ。

今から買いに行くかと思ったが、どこに何を売っている店があるのかわからず、あたりも薄暗くなってきていた。明日にしよう。それに、まだやることはたくさん、ある。

"しん"とした部屋で、家から送ったこまごまとしたものを、台所やクローゼット、洗面台などに収めていった。

「そうか、テレビだ。テレビがついてないから、こう、うすら寂しいのだ。そうに違いない。」

と思った。テレビをセッティングした。地デジとケーブルテレビの線は部屋まで来ていて、ケーブルテレビは個別契約すればいいようだが、そんなつもりはさらさらなく、スカパーのヨーロッパサッカーとWOWOWが契約済みのB-CASカードを持ってきていた。

とりあえず地デジを見れるようにセッティングして、続いて衛星放送のアンテナを設置しようとしたが、ベランダには取り付けができそうな桟がなく、壁になっている鉄板には細かい穴が開いているものの、付属の取り付け器具のネジは入らない。それに、思い出した、ドライバーがないんだってば。

今日はこういうのはやめだ。確か松屋にベスト電器があったはず。あとで行って何かないか見てみよう。

結局、この日は梱包を解いて家電は設置すべきところに仮設置、小物は格納するところに格納をして終わることにした。

さて、フロに入ろうと思ったら、洗面器はあるが、風呂イスがなかった。しゃがんだままで体と頭を洗った。少し悲しかった。

さて、寝ようと思ったら、窓にカーテンがなかった。そうだ。窓のサイズがよくわからず、測って買わなきゃいけなかったんだ。

窓の外、隅田川の川面は電光看板のネオンにキラキラと光り、川向こうの高速道路では、ヘッドライトが行き交い、工事でもしているのだろうか、黄色い回転灯も回っている。眺めているには綺麗だが、 田舎育ちのおじさんは、これでは眠れない。

畳んだダンボールを広げ、窓にあてがっていった。ダンボールを留めておくための新しいガムテープもない。ダンボールについていた一度剥がした頼りないガムテープで、窓に引っ付けていく。

二時間ほど経った頃だったろうか、うとうとと眠りかけた静かな部屋に、「ずぼぼぼぼぼんっ!」という音が響いた。一番大きなダンボールが一枚、床にずりおちていた。

(続く)

浅草ひとり(1)

2008年7月25日、午後2時。むぎとろの前に、不動産屋の子分君と、鍵を付け替えてくれる人が待ってくれていた。

子分君は、鍵の入った封筒を私に渡して、

「じゃ、私はこれで」

とそそくさと去っていった。なんだ愛想のないやつだ。

Room 鍵のつけ替えもすぐに終わり、がらんとした部屋の中で、さて、どうしたもんかと、部屋に備え付けの機器や電気、水道、ガスなどの手続き書類を見るともなく眺めていた。

とにかく暑いので、エアコンをつける。いつもならエアコンと扇風機を同時にまわして風をかきまわしているのだけど、扇風機は今日届く予定にはなっているが、まだ、ない。

家からは当面の衣類や食器、調味料などを買って送った。こっちで買えばいいのはわかっているのだけど、買いに行くという行為自体が面倒なのと、家電など、ほとんどの生活用品は、新たに購入して今日、ここに届くように手配していた。

部屋を出て、飲み物や食べ物なども買いに行きたいと思ったが、そろそろ荷物が届きだすころだと思うと、部屋を空けるわけにいかなかった。こういうところが一人で暮らすということの不便さなのだなぁ。

水道や電気は使えるが、ガスは開栓してもらわないといけない・・・らしい。(そんなことも知らないのだ。)ガス会社に電話をしてすぐ来てもらう。

3時過ぎ、荷物の第一陣が届いた。台所側の部屋にエアコンの風が届かないので、まず扇風機の梱包を解いて組み立てを開始したところに、ガス会社の人が来た。

汗だらけのガス会社の人に、冷たいお茶でもと思ったが、コップもお茶も何にもなかった。すまないと思ったがどうしようもない。

「涼しいエアコンにあたらせてもらってありがとうございました。」と丁寧にお礼を言われてかえって恐縮だった。もう少しあとで来たら、せめて扇風機の風にあたってもらえたのになぁ。

(続く)

2008年7月20日日曜日

単身赴任前に大阪で奥さんの実家で壮行会?を開いてもらったカントク

チャリです。

今日は7月の20日。カントクは、家族そろって奥さんの実家に行ったのだそうです。

カントクの奥さんの実家は、セレッソ大阪の本拠地、長居競技場から徒歩10分くらいのところで、ビルなどの電気設備と工事の仕事をやっていたそうです。

カントクも、もうちょっとうまく立ち回っていれば、今頃はその会社を継いでいたのではないかというような雰囲気もないではなかったのですが、その会社は、ずっと勤めてくれていた番頭さん?にすべて譲ってしまって、お義父さんは、悠々自適の生活に入ってしまった。ちょうどそれはバブルが始まった頃のことだったそうです。

「これくらいあればもう働かなくても暮らしていけるだろう。」 というような目論見もあったようで、それは幾分はずれたようではあるけれど、その後、カントクの住む町の、カントクの家のすぐ近くに家を買って引っ越してきて、盆と正月にはカントク一家を家に呼んでくれて、

舌のとろけるような牛シャブや、アワビの活け造り、正月にはオガクズにくるまった、生きた伊勢海老などを持ってきてくれたりしているので、まぁ、老後の不安はないようです。

でも、カントクは、
「メシがうまいんや。うん、メシが。いい米なんよねきっと。」 と、そのあとで食べるご飯が楽しみなようです。

今日は、カントクがもうすぐ東京に行ってしまうというので、いつもお盆に集まるカントクの家族と、カントクの奥さんのお姉さんの家族とが一同に集まって食事をしようということになったようで、カントクは、ひさしぶりに逢ったお義兄さんなどともいろんな話をして、実はなんだかとっても感動していたようです。

Photo


こういうのって、いいなぁって思うんですよね。ボクはそのお義父さんにも、お義母さんにも、いや、カントクの家族誰とも逢ったことがなく、たぶんこれからも逢えないんだろうなとおもうけど。

今日は2008年7月20日 ボクがカントクと出逢うまで、あと13日・・くらい。

2008年7月18日金曜日

湧水とすかんぽの山(2/2)

(承前)山の中腹にある岩湧寺まで下ってきた。周辺はきれいに手入れされた芝生の休憩広場になっている。林では鶯がいい声で鳴いている。

岩湧寺は役小角の開基、本堂は江戸初期(市指定文化財)、多宝塔は天文年間(室町時代1532-1555年)頃の建築(国重要文化財)、本尊の大日如来坐像(国重要文化財)は平安末期の作、境内の杉林も樹齢400年以上と、いずれも大変に古い。

すかんぽ この境内から石階段、石畳の旧参道に降りる。小さな滝から川沿いの道を行くと、土手にすかんぽが大量に自生していた。

すかんぽなんて食べるのは何年ぶりだろうか。八百屋なんかでは売ってないからねこれは。

さっそく皮をむいて食べる。水分が多く、茎もやわらかい。上モノだ。

そうそう、この植物とほとんど同じ姿形で、でも食べると凶悪に思いっきり苦いやつがある。

こやつとすかんぽの違いは葉の形。葉先が丸いのがすかんぽ、ギザギザなのが「すかんぽもどき(←今考えた)」わかっちゃいるんだが、何度か間違えて苦い思いをした。

もう2、3本引き抜き、食べながら歩く。寺からのルートの終点近く、つまり古参道の始点近くに、『長寿水』という湧き水がある。


『或る年、紀州や河内地方が大旱魃に見舞われ、困った村人が山に登り雨乞いをしたところ、天狗が現れ錫杖で一突きしたら、こんこんと水が湧き出し、人々を救ってくれた』

『ありがたや 岩湧寺の 長寿水 のみて 後生を たのめ 観音』
岩湧寺の御詠歌
冷たい水が豊富に湧いており、ここで顔を洗ったり、水を飲んだりして少し休憩する。





平日はさほどでもないが、休日には遠くから車で水を汲みにくる人もいて、行列ができているときもある。近くに駐車場はあるものの、ポリタンクやペットボトルを山ほどかかえたり台車に載せたりして、50mくらい石畳の坂道を歩かなければならない。

台車の車輪が石畳の溝に落ち、その衝撃で目一杯水の入ったポリタンクがいくつかバラバラと道に落ちてしまうところも目撃したことがある。結構な重労働だ。

私はバイクをこの先の駐車場に止めてある。岩湧山にはいくつか登山ルートがあり、私はこの湧き水のあるところから少し下ったところにある登山口から入り、尾根をぐるっと一回りして岩湧寺に降り、湧き水経由で駐車場に戻るルートをとることが多い。

バイクにはポリタンクが二つ積んである。湧き水のところに戻り、水を詰めて家路につく。この水で鍋などをすると、むっちゃくちゃうまい。

(監)

湧水とすかんぽの山(1/2)

今日は7月18日。大阪の夏は暑い。特に梅雨が明けて天神祭、祇園祭などが行われる頃というのは格別に暑い。

大阪で初めての夏を迎えた社員が、
「カントク、大阪暑いデス。トケます。祇園祭りに行って肩が焦げつきました」
と言ってくるくらい暑い。

7月中は家で過ごしていた。冷房はあまり好きではないので、午後の日差しがたまらなくなる2時、3時あたりまでエアコンをつけるのは我慢する。

でも、暑いとそれだけで体力を消耗したり、ストレスもたまるので、2年ほど前からちょくちょくと、山に行くようになった。単車で30~40分くらい走って、河内長野市にある岩湧山に登る。
新日本百名山の1つ。山頂からは大阪平野、大阪湾を臨むことができる。また山頂付近の約8haは茅場になっており、秋にススキの穂が広がる様は美しく、新河内長野八景に岩湧山頂の花すすきとして登録されている。ここで収穫された茅は文化財建築の修復などに使用されている。  参考:ウィキペディア(Wikipedia)

近くに金剛山という大阪で一番高い山(1,112m)もある。登頂のたびに専用スタンプシートにハンコを押してくれ、その回数によって色の違うバッチをもらえたり(買うのだが)、登頂100回を超えると、山頂の広場の大きな掲示板(記名板)に、登頂回数と氏名を掲載してくれたりする。

毎朝この山に登ってから出勤、もう1万回以上登った(毎日で計算して25年以上?)という猛者もいるほど人気の高い山だ。

でも、私はこっちよりも岩湧のほうに行く。金剛山の登山道というのは、かなり整備されており、登りやすいようにと木で階段が作られているのだけれど、この階段を登っていると、山を登っているという気がしないのだ。

そして、もうひとつ、岩湧山にはその名の通り豊富な湧き水があり、山のいたるところで水が流れているためだろう、山全体が涼しいのだ。

どんなに暑い日でも、湧水のある山腹の休憩所は肌寒く感じるほど。水を沸かしてラーメンなどを作って食べ、ベンチに寝転がっていると、涼しい風が吹き抜け、木がさわさわと揺れる。蜩が鳴き、あたりが薄暗くなるまでそのままうとうとと眠ってしまうことも度々だ。





岩湧山 湧水のある休憩展望台より、河内長野、富田林、堺を望む。(よく見えんが・・)



(続く)

2008年7月9日水曜日

西郷どんと彰義隊~上野公園を歩く(2/2)

(承前) 大仏さんから南へ歩き、西郷さんの銅像まで来た。

ここは何回か来たことがある。まぁ、ここに来たからといって何がどうということもないのだけれど、とりあえず上野まで来たんだから、西郷さんのところには行っとかないとね。というオノボリ発想だ。




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幕末の話が好きで、司馬遼太郎さんの本などもよく読んでいた。

ただ、龍馬暗殺後の鳥羽伏見やその後の薩長官軍の東征の話にはあまりいい印象がない。

まだ十分に攻勢を保てるはずだった幕府側が、徳川慶喜や榎本海軍の腰砕けや失策によって、会津や五稜郭の悲劇を引き起こした。

新政府に統一されてから、旧幕に味方した東北諸藩への、見せしめと言っていい施策や、龍馬発案によると言われるが、屯田兵施策でアイヌ民族への差別的な隔離政策が行われたこと、さらに日本が軍国路線を歩んでいったことなど、時代が自分に身近になってくるに従って、妙に居心地が悪いというか、世の中のどろどろを垣間見るような話だなぁと思って、あまり「その後」には関わらないで?おこうと思っている。

西郷さんのすぐそばに、彰義隊の墓がある。

彰義隊は、大政奉還後、寛永時に蟄居謹慎していた慶喜の助命嘆願を目的として旗本の二男、三男などを中心として結成されたようだが、佐幕派の浪人なども加わり、結局は賊軍扱いとなり、官軍に半日で「制圧」された。指揮官は大久保どんだったか、大]村どんだったかな・・。慶応四年(1868年)旧暦5月15日、後に上野戦争とよばれる事件である。



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この墓は、それから六年後の明治七年(1874年)に、ようやく新政府の許可を得て建立されたのだと、墓の横の看板にある。

しかし、よく考えると、官軍の旗頭であった西郷どんと、この上野の山にこもり、官軍との戦いで亡くなった人々を合祀した墓が、こんなに近くにあっていいんだろうかと思うのは私だけなんだろうか。

(監)

上野大仏てっぽ玉~上野公園を歩く(1/2)

(承前) 浅草から車に乗せてもらって、不動産屋の事務所のある入谷まで来た。手続きが終わるころ、愛からメールが入ってきた。

「お蕎麦くらいなら、さっとゆがけます。」

う~ん、愛の家はこの近くなんだよなぁ。ストイック生きると決心したのに「行きます」とメールを返していた。愛の家でお蕎麦をごちそうになり、鶯谷の駅まで送ってもらった。

ここは上野公園の一番北側にあたる。まだ日も高いので、公園をぶらぶらと歩き、上野駅から電車に乗ろうと思った。

ずいぶん昔に、このあたりのホテルに泊まり、朝少し早起きをして公園内を歩いたことがある。

その時、左甚五郎作の昇龍・降龍の彫り物がかかげてある門に偶然出くわし、

「これって、落語か昔話に聞いた名工比べの、甚五郎の龍は荒々しく、もう一人のは精緻だが、門上に掲げてみたら精緻な龍はうなぎのようにのっぺりと見え、甚五郎の龍は今にも動きそうなほどリアルに見えた。というやつ?いや、あれはこういう門柱のところじゃなくって、高いところに掲げたっていう話だったよな。」

などと思ったりしたものだった。

噴水のある池の横を通り、上野大仏という看板を見つけて階段を登った。そこには顔だけの大仏があった。上野大仏略儀にはこうある。



 寛永八年(1631年)に、越後の国村上城主 堀丹後守直寄公旧自邸内に釈迦如来像を造立。

明暦・万治の頃(1655-60年)木食僧浄雲師により銅仏に改められた。

(中略)

大正十二年関東大震災によって佛頭がおち、寛永寺にて保管、その後解体され第二次世界大戦時に献納された。

 昭和四十七年春彼岸、尊顔を再び旧地に迎えて祀り再建を計る一助とする。

なるほど、大仏さん、震災で頭落ちるわ、体は鉄砲の弾になっちゃうわ、ほんとにいろいろと大変だったんだなぁ、と思いつつ、階段を下りた。

続く

カントクのチャリ

チャリです。

カントクは2008年7月9日に、転職の打ち合わせで東京に来た。交通費や宿代も転職先に負担させ、打ち合わせの翌日を住む家探しにあてた。

不動産屋に、
「ええか、とにかく浅草駅に近くて、隅田川沿いで、花火のみえるとこ。あと、気持ちのいい公園近くで、できればジョギングコースのあるとこがええな」と、言っていたそうで、

大阪の田舎モンが、これから東京で生活をしてゆくのだという真摯な姿勢は全く見えず、ほとんど観光気分で東京生活の拠点を決めようとしていたとしか思えない。と感じるのはボクだけだろうか。

とにかく人の多いところにいると眩暈がし、酒は飲むけど静かなところでないと機嫌が悪く、うるさいところにいると「じゃかましい!」と怒鳴りたくなるという、典型的な離人症タイプの人なわけで、こんな人がまたなんでわざわざ人の多い東京で働く気になったのか、かなり理解に苦しむのだが、まぁ、いろんな事情があったんだろうとは思う。

東京で働くと決めた時に、カントクは、特に何の根拠もないながらも、
「とにかくワシの住むところは上野か浅草界隈しかない」
と、決めていたようで、地図やインターネットでいいところがないかといろいろと調べているうちに、

「上野に住むと、『我が愛』との距離が近すぎる。愛は、賄い一切面倒を見ると言ってくれているが、いい歳こいて愛に溺れてはわざわざ東京へ来た意味がない。ここは浅草芸人として、イチからストイックに修行するのが男の道なのだ。」

など、まじめなのかナルシストなのか、あるいは単なるあかんたれなのか、社会的にも人類学的にもほとんど意味のない理屈で、浅草に住むことを決めたらしい。

今日は2008年7月9日 ボクがカントクと出逢うまで、あと24日・・くらい。

四万六千日のむぎとろ

今日は7月9日。前に東京に来たのは、いつだったろうか。夜、神田西口商店街で焼き鳥を食べていると、不動産屋からメールが来た。

『浅草むぎとろという物件が出てきたのですが、明日見に行かれますか?』

浅草むぎとろという物件・・・物件? 物件っちゅうとマンションっていうことやんな。
まぁなんだかおもしろそうなので、とりあえず見るだけは見てみようと「行きます」とメールを返した。

今日はドーミーイン浅草というホテルに泊まる。このホテルの横に、第一候補にしていたワンルームマンションがあり、道路横だけど夜うるさくないかとかをこのホテルで試してみるつもりだった。

ホテルのベランダから隅田川を眺めることができる。川の近くだからだろう、涼しいとまではいかないが、風が通って気持ちがいい。外の音も聞きたかったので、窓を開けて寝た。

朝、6時前だったろうか、東武線の電車が川を渡って駅に回り込んでくる時のレールの軋み音で目が覚めた。結構大きな音だ。う~ん、毎朝この音を聞いて目覚めるというのはよくないなぁ。

10時。ホテルのフロントで、愛と、愛の小学校の同級生の不動産屋さんと待ち合わせ。当日は、同級生ではなく、その子分が案内してくれることになっていた。3人でまず隣のマンションへ。新築できれいだが、なんだか部屋が暗く、またどうにも狭い感じがする。玄関が川側で、部屋から川が見えないのも少し不満だった。

今日、見てまわろうと思っていたのは、むぎとろを合わせて3軒。うち1軒は部屋のタイプが3種類あり、まぁこれで気に入らなければまたの機会でもいいのかなと思っていた。

むぎとろのほうが近いというので、2軒目はそっちにした。ほんとだ。「浅草むぎとろ」という店があり、その上がマンションになっているようだ。

「あれっ? 鍵が合わないですねぇ・・。」と子分君が言う。「おかしいなぁ」などと言っていたが、どうやら「むぎとろ」はもう一軒あるらしいことがわかった。

ようやく部屋に入ることができた。川側の壁がほとんど全面窓になっていて、部屋の中が非常に明るい。窓の外には川遊びの座敷船が泊められている。対岸に高速道路が通っており、車の流れ、川の流れ、船の行き交いが部屋の中から眺められるのがいい。洗面、トイレ、風呂が入口付近でなく、メインの部屋から入るようになっているのはありえないと思ったが、なんといってもこの窓からの眺めは捨てがたい。

愛も「いい部屋だと思う」と言ったので、ほぼ気持ちは固まった。「ここに決めよう。」と子分君に言うと、驚いた顔をしていた。「いいんですか? 何日かかけて何軒も回って、それでも決まらなければウィークリーマンションなどで一か月なり住んでその間に探す方法もあります。」などと言っているいるが、そんなことをしてたらかえって迷ってしまうし、最高にいい部屋を見つけたとしても隣の部屋に、夜中にバカ騒ぎする奴がいたり、上の階ではゴキブリを養殖しているような輩がいるかもしれないので、そう悩んでも仕方がないだろうと思った。

次のマンションを見に行ったが、もう部屋が暗いということだけで、気に入らなかった。少し広めの部屋も見たが、どうも一つ一つがせせこましい。愛が、体を斜めにしてドアをすり抜けないとたどりつけない対面キッチンに立って、「同棲サイズの部屋だね。」というのをドキッとしながら聞いていたが、まぁ、・・・そんな感じの部屋だった。

そのマンションを出て、子分君に、
「やっぱりむぎとろで決めだ。手続きしましょうか。」と言った。ふと横を見ると、歩道の柵に「四万六千日 浅草ほうずき市」の手書き風ポスターがあった。

そうか。7月10日は「四万六千日」。今日観音様にお参りすれば、四万六千日分のご利益があるという日だ。
「四万六千日、お暑いさかりでございます。・・・」で始まる落語「元犬」のさわりが思わず口をついて出た。
浅草近くの長屋の片隅で生まれた体の真っ白なシロという犬が、(真っ白な犬は来世は人間に生まれ変わるという迷信?がある)観音様に願をかけ、願いかなって人間になり、いろいろな騒動を起こす、という噺だ。

そうか。四万六千日。観音様のお導きでむぎとろに出逢ったか。へへ。いい話だねこりゃ。

(続く)
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