ここは何回か来たことがある。まぁ、ここに来たからといって何がどうということもないのだけれど、とりあえず上野まで来たんだから、西郷さんのところには行っとかないとね。というオノボリ発想だ。

幕末の話が好きで、司馬遼太郎さんの本などもよく読んでいた。
ただ、龍馬暗殺後の鳥羽伏見やその後の薩長官軍の東征の話にはあまりいい印象がない。
まだ十分に攻勢を保てるはずだった幕府側が、徳川慶喜や榎本海軍の腰砕けや失策によって、会津や五稜郭の悲劇を引き起こした。
新政府に統一されてから、旧幕に味方した東北諸藩への、見せしめと言っていい施策や、龍馬発案によると言われるが、屯田兵施策でアイヌ民族への差別的な隔離政策が行われたこと、さらに日本が軍国路線を歩んでいったことなど、時代が自分に身近になってくるに従って、妙に居心地が悪いというか、世の中のどろどろを垣間見るような話だなぁと思って、あまり「その後」には関わらないで?おこうと思っている。
西郷さんのすぐそばに、彰義隊の墓がある。
彰義隊は、大政奉還後、寛永時に蟄居謹慎していた慶喜の助命嘆願を目的として旗本の二男、三男などを中心として結成されたようだが、佐幕派の浪人なども加わり、結局は賊軍扱いとなり、官軍に半日で「制圧」された。指揮官は大久保どんだったか、大]村どんだったかな・・。慶応四年(1868年)旧暦5月15日、後に上野戦争とよばれる事件である。

この墓は、それから六年後の明治七年(1874年)に、ようやく新政府の許可を得て建立されたのだと、墓の横の看板にある。
しかし、よく考えると、官軍の旗頭であった西郷どんと、この上野の山にこもり、官軍との戦いで亡くなった人々を合祀した墓が、こんなに近くにあっていいんだろうかと思うのは私だけなんだろうか。
(監)