「お蕎麦くらいなら、さっとゆがけます。」
う~ん、愛の家はこの近くなんだよなぁ。ストイック生きると決心したのに「行きます」とメールを返していた。愛の家でお蕎麦をごちそうになり、鶯谷の駅まで送ってもらった。
ここは上野公園の一番北側にあたる。まだ日も高いので、公園をぶらぶらと歩き、上野駅から電車に乗ろうと思った。
ずいぶん昔に、このあたりのホテルに泊まり、朝少し早起きをして公園内を歩いたことがある。
その時、左甚五郎作の昇龍・降龍の彫り物がかかげてある門に偶然出くわし、
「これって、落語か昔話に聞いた名工比べの、甚五郎の龍は荒々しく、もう一人のは精緻だが、門上に掲げてみたら精緻な龍はうなぎのようにのっぺりと見え、甚五郎の龍は今にも動きそうなほどリアルに見えた。というやつ?いや、あれはこういう門柱のところじゃなくって、高いところに掲げたっていう話だったよな。」
などと思ったりしたものだった。
噴水のある池の横を通り、上野大仏という看板を見つけて階段を登った。そこには顔だけの大仏があった。上野大仏略儀にはこうある。
寛永八年(1631年)に、越後の国村上城主 堀丹後守直寄公旧自邸内に釈迦如来像を造立。
明暦・万治の頃(1655-60年)木食僧浄雲師により銅仏に改められた。
(中略)
大正十二年関東大震災によって佛頭がおち、寛永寺にて保管、その後解体され第二次世界大戦時に献納された。
昭和四十七年春彼岸、尊顔を再び旧地に迎えて祀り再建を計る一助とする。
なるほど、大仏さん、震災で頭落ちるわ、体は鉄砲の弾になっちゃうわ、ほんとにいろいろと大変だったんだなぁ、と思いつつ、階段を下りた。
(続く)